最近の世の中の風潮として、
「がんばれ!」っていう言葉を
軽々しく使ってはいけないような空気がありますよね。
特に、病を抱えている方や受験生など、
すでに日々がんばっている人に対して、
改めてそうした言葉をかけるのは、
「これ以上、何をがんばれっていうんだよ!」
っていう反発を招くので、よくないこととされています。
だから、ただ単に相手に応援の言葉をかけてあげたくても、
「がんばれ」に代わる、別の言葉を選ぶ人が多くなっている気がします。
例えば、
「身体には気を付けてね。」
「無理しないでね。」
などなど。
でも。。
私は、「がんばれ!」っていう言葉をなるべく使わないようにしよう、
という今の風潮を少し寂しく思うんです。
というのも。
状況によっては、「がんばれ!」っていう、
この聞き慣れた、もっともシンプルでストレートな応援の言葉が、
他のどんな言葉よりもまっすぐに人の心に届くことがある。
そう思うからです。
実際に私はそれを、高校3年の受験生だった頃に体験したんです。
それは、大学受験も直前に迫り、落ちたらどうしようという不安を抱えながら、
毎日毎日、夜遅くまで勉強に明け暮れていた日々での出来事でした。
そんななかで、ある先生がかけてくれた「がんばれ!」という言葉。
私はそれを聞いて、イヤな気持ちも、ましてや反発なんて、
これっぽっちも湧きませんでした。
むしろ、涙が出そうになるくらい、強く感動したんです。
そのワケは、そのたった一言の中に、
先生が生徒のことを思う深い愛情を感じとったからです。
本記事は、そんな体験を書いています。
人生をかけた大学受験。落ちる不安と戦いながら勉強を続ける日々。
私の通っていた高校は、俗にいう進学校で、
学年300人のうち、ほぼ全員が大学を受験するような学校でした。
高校3年の夏を過ぎると、部活をしていた生徒も引退し、
学校の授業も、教科書中心のスタイルから、
大学の過去問を用いた演習中心のスタイルに切り替わっていきます。
まさに受験ムード一色。
その頃、自分を含めた皆が、受験のことで頭がいっぱいでした。
ただ一つ。
私と周囲の皆で決定的に違っていたこと。
それは、受験に落ちることへの恐怖を、
私の方が周りの何倍も感じていただろう、
ということです。
というのも、私には愛着障害があって、
友人をつくったり、周囲とコミュニケーションをとったりすること
がとても苦手でした。
自分がただ一つだけ周囲よりも優れてできること、それが勉強でした。
そして、勉強ができる、というのが自分の唯一の存在価値である
と本気で信じ込んでいました。
仮に受験に不合格なら、
周囲とまともなコミュニケーションもとれないうえ、
勉強もできない、という烙印を押されることになる。
それは、私にとって、自分の存在価値、
すなわち生きる意味を否定されるのと同じでした。
だからこそ、私は言葉とおりの意味で、
「自分の人生をかけて」、毎日、
深夜1時過ぎまで必死に勉強していました。
信じられないような話ですが、
この頃、毎日のように、何かに追いかけられる悪夢をみていました。
私は、それくらい、受験に落ちることへの恐怖におびえながら、
それでも諦めることなく、かじりつくように勉強を重ねていたんです。
受験を目前にした決起集会。先生の「がんばれ。」との言葉。
受験を直前に控えた1月、体育館で決起集会が開かれました。
集まったのは、各クラスの担任と、学年全員300人。
体育館は、大学合格を目指して皆で戦ってきた一体感に包まれるとともに、
男子校に特有の熱気でムンムンとしていました。
各クラスの担任が、その場にいる300人に向かって、
順番に激励のメッセージを送っていきます。
受験という大イベントを前にして、
先生が話すときにはシーンと静まりかえる会場。
そして、その先生の順番に。
真剣な表情で、生徒の顔をまっすぐに見つめつつ、
慎重に言葉を選びながら話します。
「最近は、病気の人とか、すでに頑張っている人に対して、
頑張れ、っていうのは酷だし、よくないこととされているよな。」
「君たちが、この一年間、本当に一生懸命に勉強をしてきて、
合格を目指して努力に努力を重ねてきたのを、私もよく分かっている。」
「だから、一般常識でいったら、この言葉は適切じゃないかもしれない。」
「でも、そのうえで、あえて君たちに言わせてください。」
「頑張れ。」
先生は、声を張り上げるわけでもなく、
淡々とした口調でそういいました。
その言葉に込められた生徒を思う愛情。心を揺さぶられる私。
受験を目前にし、極度の緊張と不安の毎日を送る中で聞いた
その先生の言葉に、私は涙が出そうになるくらい、感動しました。
というのも、やはり、そのシンプルでストレートな応援の言葉に、
先生の深い愛情を感じたからなんですね。
ここまで努力してきたのに、
直前に手を抜いて受験に落ちる、
なんてことがあってほしくない。
最後の最後までがんばって、やりきって、
悔いなく受験を終えてほしい。
そんな思いを私は感じとりました。
そう私が感じるほど、
普段から生徒のことを大切に考えてくれる、
愛情深い、いい先生だったんですよね。
私と先生とのエピソード
先生は私のクラス担任でもあったので、
ある日、親をまじえての三者面談がありました。
「ヤマグチ、お前は勉強ができるんだから、
東大いきます!って胸を張っていうくらい、
もっと堂々と強気でいていいんだぞ。」
先生は、一人になりがちで気弱な私を気にかけてくれていて、
そういって私に自信をもたせようとしてくれました。
そう言われたからといって、
すぐに私の気持ちや行動が変わったわけではありません。
でも、私のことを気にかけ、心配してくれているんだな、
というのは先生の態度で分かったし、
それが嬉しかったのを覚えているんです。
また、先生はこんな哲学をもっていました。
「生徒が一生懸命勉強しているのに、
自分が勉強しないのはおかしい。」
それで毎日、家で3時間、
授業のための予習をしているとのことでした。
私は、この話を聞いて、
生徒に対する誠実な姿勢、
教師としてのプライドのようなものに、
尊敬の念を覚えました。
こうした諸々のエピソードがあって、
私が先生に対して強い信頼を抱いていたからこそ、
その「がんばれ。」という言葉に深い愛情を感じとったし、
それが私の心に響いたのだと思います。
まとめ
「がんばれ!」っていう言葉が避けられがちな世の中ですが、
本当に相手のためを思っての、愛情のこもった発言だったら、
ちゃんと相手にも届くし、心にも響くよなあ、と思うわけです。
だから、表面的にどんな言葉を使うか、よりも、
その言葉にどんな思いがこもっているか、
の方がずっとずっと大切だよなあ、なんて思います。
後日談
高校を卒業して2年後、20歳のときに、
先生にお会いする機会がありました。
そして、このときの私の感動を、嬉々として伝えたんですね。
すると先生。
「俺、そんなこと言ったか?」
と記憶にないご様子。
私「・・・(え、ウソだろ。。。)」
ま、まあ、2年も前のことですもんね。(汗
end
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