あなたは道徳に縛られなくてイイ。

「親孝行しなさい」
「人に優しくしなさい」

こうした道徳観念って小さいときから、
何度も、何度も教育されます。

だから、素直な人であればあるほど、
こうした道徳に従うのが正しいことだと
考えてしまいますよね。

その結果、
例えば自分が大人になって、
親孝行したい、という気持ちが湧かなかったとき、
自分を悪い人間のように感じて責めてしまう。

でも、ちょっと待ってください。

自分を責める前に
ゆっくりと考えてみてほしいんです。

あなたが親孝行したい気持ちに
なれない理由を。

例えば、

・小さいころに親からイヤな思いをさせられ続けた。
・精神的なネグレクトを受けていた。
・まったく愛情を注いでもらえなかった。

こうした背景があるのであれば、
親孝行したい、という気持ちに
なれるわけがないですよね。

だって、親孝行って、
親からしてもらったことに対する
感謝を表す行為ですよ。

この場合、
ほぼ何もしてもらってないのと同じなのだから、
感謝の念も湧かなくて当然ですよね。

それでも
「親は最低限の衣食住を与えているのだから、
子はそのことに感謝して親孝行すべき」
という人もいるかもしれないですね。

でもこれって、親の責任をかなり軽視した
発言だと思うんです。

人間の子供って、動物のペットと同じでしょうか。

確かにペットだったら、
最低限の環境さえ整えてあげれば、
勝手に育つでしょう。

でも人って、衣食住だけじゃなくて、
たくさんの愛情を親から注いでもらって、
初めて自立できると思うんです。

そしてこの、たくさんの「愛情を注ぐ」ことこそ、
親の最大といっていい責任だと思うんです。

親から十分な愛情をかけてもらえなかった子は、
乾ききった心で、
人に愛されることも、人を愛する方法も知らないまま、
社会に放り出されます。

その結果、例えば、人と自然なコミュニケーションがとれない。
素直な感情表現ができない、など。
そこにどれだけの苦労があるか。。。

愛情を注がなかった親は加害者、
その子は完全に被害者です。

だから、親に十分な愛情をかけてもらえなかった人に対して、
それでもなお、子は親に対して親孝行すべき、という人がいたら、
私はその人の方がおかしいと思います。

あなたが、親から愛情を注いでもらえず、
その結果、親に対して感謝の念が湧かないのであれば、
私はあなたの「感覚」の方がよほど正しいと思いますよ。

もっと時間が経って、
親への感謝の念が自然と湧いてきたとき、
そのときに初めて、
親孝行を考えたらよいのではないでしょうか。

「人に優しくしなさい」という言葉もそうです。

例えば、あなたが、
どうしてもある人を好きになれず、
その人に優しくできないとしましょう。

そして、そんな自分を
悪い人間であるかのように感じて
責めてしまっている。

でも、あなたが、その人のことを
好きになれないのには、
何か特別な理由がありませんか。

例えば、

・いつも自分に冷たく当たってくる。
・なめてかかってくる。
・嫌味を言ってくる。
・不快な言動をとってくる。
・理不尽に逆ギレしてくる。

最後の、理不尽に逆ギレしてくる人なんて、
あなたがいきなり路上で殴られるのと同じだと思うんです。

違いは、
その暴力が精神的なものか、
物理的なものか、というだけで。

こんな人だったら、
好きになれなくて当然ですよね。

そんな人に優しくする必要もないし、
あなたは優しくできない自分を
責める必要もないんです。

このように、あなたが相手のことを
どうしても好きになれないのなら、
そこには必ず正当な理由があるはずなんです。

それに反して、
「人に優しくしなさい」という道徳にしたがい、
無理にその人に優しく接する必要なんてない。

あなたの優しさは、もっと、
あなたのことを大切に思ってくれる人に
注いだ方がよいと思いますよ。

ただ一つだけ注意点を。

ある人を好きになれず、優しく接することができない。
これは全く構わないと思うんです。

でも、相手に対するマイナスの感情を思い切り、
表に出してしまうのはオススメしません。

例えば、自分から相手に突っかかっていく、とか、
相手を無視する、とかですね。

なぜなら、それって、
ムダな軋轢や衝突を生むだけですから。

このあたりは、うまく本音と建て前を使い分け、
相手を上手に受け流していく技術も身に着けていきましょうね。

結局、
「親孝行しなさい」「人に優しくしなさい」
というどちらの言葉も、
ただの一般道徳でしかないんです。

一般道徳って、皆がこれにしたがっておけば、
社会が円滑に回っていきますよ、
という一つの考え方です。

それは世間一般に向けられた言葉であって、
個々の状況、つまり、あなたが抱えている親との問題や、
人間関係の問題をまったく想定していないんです。

そんな道徳に縛られて、
それに従えない自分を
あなたが恥じる必要もないし、
責める必要もない。

あなたは、道徳なんかより、
自分自身が感じる、
そのまっとうな「感覚」の方を信じていいんです。

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