人は誰しも、
周りの人から言われたくない言葉が
あると思います。
そして、それは多くの場合、
自分のコンプレックスに関係していることが
多いのではないでしょうか。
例えば、容姿の衰えを気にしている人であれば、
オジサンとかオバサンって言われたら
傷つきますよね。
人より太っていることを気にしている人であれば、
デブだとか体重のことを言われたら
落ち込むと思います。
では私の場合。。。
高校生のころ、当時、
私にとって最大のコンプレックスは、
「友達がいないこと」、でした。
そして、友人がおらず、
黙々と勉強していい成績をとる私に対し、
とあるクラスメイトが冷やかしで言ったんです。
「ガリ勉だ」と。
その言葉を聞いたとき、
私は雷が落ちたような衝撃をうけました。
と同時に、胸をえぐられるように、
深く傷ついたんです。
この記事は、
そんな私の体験をまとめています。
さて、話は私が高校に入学した時期に
さかのぼります。
中学校では、
周りよりも勉強ができました。
そのことで自然と目立ってチヤホヤされ、
友達を作ろうとしなくても、
周りから人が近寄ってきてくれました。
ところが、高校は進学校で、
勉強ができるのは当たり前。
私は人生で初めて、
目立った武器のないまま、
ゼロから人間関係を作る必要に
迫られるのでした。
もう大パニックです。
なぜなら、自ら動いて
人間関係を作った経験がないからです。
おろおろする間に、間もなく、
私はクラスで孤立するように
なっていきました。
体育でペアを組むように言われても、
組む相手がいない。
修学旅行で好きな人と
班を組むように言われても、
組む人がいない。
休み時間も、
トイレにいったり、
図書室にいったりして、
教室から離れて時間をつぶす。
自分に対する
自信のようなものは完全になくなって、
周囲から孤立し、好かれない自分には、
価値がないのだと本気で思っていました。
それで、人間関係がダメなら、
せめて他の人よりも勉強ができるようになろう、
と考えたんです。
成績は、
勉強をすればするほど
伸びていきました。
やがて私は、
勉強ができることだけが
自分の存在意義だと信じるようになります。
友人もいないし、
人とまともにコミュニケーションもとれない自分には、
勉強しかない。
それができなくなったら、
自分には本当に何もない。。。
ただ。
成績がぐんぐん伸びていく一方で、
心が疼くんです。
友達がほしいと。
友達と呼べる人と、
心の通った交流がしたい。
バカなことを話したい。
一緒に楽しい高校生活を送りたい。
でも学校では、
こんな本心を押し隠して、
もともと一人でいることが好きな人、
を装っていました。
自分は孤独なのではない。
孤高なのだと。
友達がほしいのにいない、っていう状況は、
自分の人間的な魅力のなさを露呈しているようで、
とても恥ずかしかったからです。
結局、私は、
友達がいないことへの強烈な
コンプレックスを抱えながら、
連日深夜まで、悲愴な思いで
机に向かい勉強するのでした。
そんななか、
とあるクラスメイトが私に言ったんです。
「ガリ勉だね。」と。。。
これ、私の受けた衝撃が
想像いただけるでしょうか。
ちょっと想像してみてほしいんです。
皆さんは「ガリ勉」という言葉から、
どんな人をイメージしますか?
勉強以外のことに関心がない。
人と交流しようとしない。
喜怒哀楽の表現が少ない。
おもしろみに欠ける。
孤立している。
など。。
まとめると、
勉強しか取り柄のない、
孤独でつまらないヤツ、、、
そんな感じですよね。
そうなんです。
「ガリ勉だ。」といわれたとき、
私は、
「お前は勉強しかできない人間だ。」
「お前は友達もいない、孤独でつまらない人間だ。」
面と向かって、そう言われた気持ちになったんです。
雷が落ちたようでした。
ああ、自分が自分のことを
そう思っていただけではなくて、
周りも自分のことを
そう思っていたんだ、、、
必死に「孤高」を装っていたけれど、
私は紛れもなく、みじめな「孤独」であって、
すべて見破られていたんだ、と思いました。
認めたくない現実を
目の前に突きつけられたような気持ちでした。
羞恥心、落胆、悲しみ、、、
そういった感情がごちゃごちゃになって、
胸を埋め尽くしました。
そう。
「ガリ勉」という言葉は、
私のコンプレックスを
ピンポイントで刺激し、えぐり、
心を深く、深く傷つけたんです。
驚くべきことに、
それから20年近くたった今でも、
この体験がトラウマのように思い出され、
そして、私はいまだに言った本人を
許せずにいます。憎いんです。
そもそも「ガリ勉」なんていう言葉自体が、
十分すぎるほどに悪意を含んでいますよね。
「勉強熱心だね。」とか、
「真面目だね。」とか、
いくらでもそれに代わる言葉はあったはず。
でもあえて彼はそれを、
「ガリ勉」という、中傷と冷笑を含んだ、
人を傷つける言葉で表現した。
私はそれが許せないんです。
今振り返ってみれば、
私に対して「ガリ勉だ」といった人は
たった一人です。
でも当時の私は、
まるで周囲の人全員が
自分のことをそう思っているような
錯覚におちいりました。
それくらい、
自分の中で衝撃が大きかったんですね。。。
たった一言で、自分がこれだけ傷ついたことを考えると、
加害者にだけはなりたくないな、と思います。
うかつに相手のコンプレックスを刺激して
その心を傷つけてしまわぬよう、、
相手の心を傷つけることに対する「恐れ」の感情は、
常に持ち続けていたいな、と思うんです。
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