僕は中学生時代を優等生として生きた。
正確には、優等生を「演じた」のだけれど、
なぜそうしたかといえば、
安泰な学校生活を得るために都合がよかったからだ。
そして、僕はそれを得ると同時に、
中学生で経験すべきことを経験する機会を失った。
■僕は勉強ができた。
まず、小学校でもそうだったけれど、
中学校においても、
僕は人並み以上に勉強ができた。
定期試験の順位は学年300人のうち、
常に5番以内だった。
がむしゃらに勉強したつもりはないけれど、
周囲と比較すれば、
圧倒的に勉強時間が長かったはずだ。
宿題はちゃんとこなし、
周りと同じように塾に通い、
テストが近付けばテスト範囲を復習した。
そうすることを大変だとも思わなかったし、
それが当たり前だとも思っていた。
テストの成績がよいことに対しても、
初めは嬉しかったけれど、あとは
淡々とした気持ちでいて、
学年で1番だと、ちょっと嬉しいし、
1番でないと、ちょっと悔しい、、、
そのくらいのものだった。
途中からは、自分の興味は順位より、
いかに5教科で500点満点をとるかに移り、
テストはゲーム感覚になった。
ふだんは480点~490点で、
最高が491点だった記憶がある。
いずれにせよ、
僕の成績のよさは一年生の初めには
すぐに周囲に伝わり、
以降は、特別に頭のいい人、として
周りから認識されるようになる。
■本心を隠した優等生らしい振る舞いが周囲からウケる。
このように勉強ができたことにくわえて、
僕は中学生には似つかわしくないような、
とても大人びた行動をとることができた。
例えば、こんなことだ。
・成績がよくても偉ぶらずに謙遜する。
・先生の言うことをきちんと守る。
・自分が話すよりも周りの話を聞く。
・人に公平に接する。
・いじめに加担しない。人の悪口を言わない。
・女の子にも優しく接する。
・人の冗談はつまらなくても愛想笑いをする。
など。。
まさに、聖人君子のような、いい子の優等生だ。
注意しないといけないのは、こうした行動が
自分の本心から出たものではないということ。
中学生の僕は、
自分自身がどう思うか、とか、何をしたいか、といった、
自分の本当の気持ちや感情にはとても無頓着で、
そんなことよりも、
思考停止して外面を繕い、
人として「正しく」振る舞うことを優先した。
この「正しい」振る舞いとは
幼い頃からの宗教によって植え付けられたもので、
この宗教は自分を律すると同時に、
のちに、がんじがらめに縛り付けることにもなったんだけど、
それはまた別記事に書くとする。
なんにせよ、
自分は本当の気持ちとは裏腹に、
八方美人的に上手に外面を繕うことができた。
そして、
中学生にして、まったく中学生らしくない
この大人びた態度は、
周囲の生徒や先生からとてもウケた。
周りの生徒からは、
頭がいいのに嫌味がなく、
皆に公平に優しい、イイ人と思われた。
休み時間になれば、
自分の机の周りに人が集まるようになった。
僕は休み時間や放課後、
面白い子のいう冗談にケラケラと笑い、
その楽しそうな様子は
また周囲からの好感をよんで、
男女問わず、信頼を置かれるようになった。
先生は先生で、
成績がよくて、大人びていて、
かつ周囲ともよく馴染んでいる僕に、
よい印象をもっているみたいだった。
実際、通知表には、
先生からの僕に対する誉め言葉が
書き連ねられて、親を喜ばせた。
■生徒会長になる。
こうして、
学級委員とか、生徒会役員とか、
クラスの代表を決めるときには必ず、
自分の名前が挙がるようになる。
そして、毎回、毎回、
ほぼ反対する人もいなく、
自分が選出されることになる。
このことについて、
いつも、しぶしぶ受け入れる、という素振りを見せつつ、
内心、悪い気はしていなかった。
周囲の人が、
自分の人間性(実際は繕った外面なのだけど。。)を
高く評価してくれたように思えて、
そのことが嬉しかったし、誇らしい気持ちになった。
結果として、僕は3年間、毎年、
学級委員を務めることになる。
さらに。。。
生徒会役員選挙にも立候補することになり、
1年生のときには生徒会役員の書記、
3年生のときには生徒会長を務めることになる。
ただ、さすがに生徒会長の役員選挙に
出るのだけは躊躇したのを覚えている。
覚えている人は少ないかもしれないけれど、
生徒会長って実は、
全校生徒の前でスピーチをする機会がたくさんある。
例えば、、、
・県大会に出場する部の壮行会
・教育実習生がくるときの歓迎会
・卒業式の答辞
などなど
こんな仕事は大変だし、人前に立つのも緊張するし、
初めは僕もやりたくなかった。
だから、クラスの皆から推薦されても、
いざ役員選挙に出るのは断っていた。
そんなとき、先生に呼び出されて直談判された。
「ヤマグチしかいないんだよ、、生徒会長をやってくれよ。」
この言葉で、
僕がどれだけ先生からの信頼を獲得していたかも
分かってもらえるんじゃないだろうか。。
そんなわけで僕は、
先生に根負けするようなかたちで立候補を決め、
対立候補に大差で勝利し、生徒会長になった。
■作られたイメージが自分を縛る。
生徒会長にもなると、
学校全体の生徒にも知られるようになって、
模範生としてあらねば、
という意識がより強くなった。
と同時に、
周りが抱く、
自分に対する優等生のイメージを壊してはいけない
と思うようになった。
すでに書いたとおり、
自分は根が優等生なのではなく、
自分を優等生に取り繕って見せていただけ。
だから、自分の隠している本当の気持ちが
うっかり漏れ出てしまったり、
低俗な言動をしたりすれば、
周囲には幻滅されて信頼を損なうことになる。
だから、性やお笑いの話など、
俗っぽい話題は意識して避けたし、
「バカ」とか「クソ」とか汚い言葉も
使わないようにしていたし、
自分の気持ちを話すときも、
正論しか口にしなかった。
■優等生を演じるストレスより安泰な学校生活の方が大事。
こんなふうに自分を縛ることに
ストレスはあったけれど、
・勉強していい成績をとること、
・宗教の教えとおり「正しく」振る舞うこと、
・クラスの代表、生徒会長として優等生らしい行動をとること
こうした行動を続けるのはそこまで苦ではなかったし、
逆に、それさえしていれば、僕の学校生活は安泰で、
そっちの方がずっと重要なことだった。
というのも、
僕の通った学校は公立で、当時、荒れに荒れていた。
先生の車のタイヤが生徒のいたずらでパンクさせられるとか、
窓ガラスが割られるとか、
教師いじめで、教師が学校にこなくなるとか、
クラス内でのいじめもあった。
ともすると、
自分が「不良」とされる子のターゲットになるんじゃないか、
という恐怖が、常に心の片隅にあった。
そんな中で僕は、
自分に与えられた役を演じていれば、
人から敵意を向けられることもなかった。
学校に行きたくない、と思うこともなかったし、
悩みで食事が喉をとおらないことも、
夜、眠れないこともなかった。
むしろ、学校にいて、楽しいと
感じることの方が多かった。
面白い子が自分を笑わせてくれる。
周りは成績がよいことをほめてくれる。
女の子からの受けも悪くない。。。
僕は優等生を演じて生きる自分に、
なんの疑問ももたなかった。
だって、すべてのことが上手くいっていたから。
■引き換えに失ったもの。
ただ、、、
今、振り返って思うのは、
僕は安泰な学校生活と引き換えに、
この時期に学ぶべきことを学べなかった、と思う。
その最たるものは、
自分の本当の気持ちや感情を表現して
人と心を通わせる、
という人間関係の基本だ。
これまでに書いてきたように、
僕は学校において特別な地位を与えられた。
そのために、
人間関係を主体的に作っていく努力から
逃れることができた。
例えば、、
友達を作る努力をせずとも、
人が勝手に近寄ってきてくれた。
自分の気持ちを表現する努力をしなくても、
周りが自分の意見に聞く耳をもってくれた。
そして、この、「人間関係を作る方法を学べなかった」という
中学生でのやり残しが、
高校時代に大きな問題を引き起こすことになる。
結論からいうと僕は、
高校に入学して友達が一人もできず、
ずっと一人ぼっちで過ごすことになる。
そのことは別記事に書こう。
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