僕の人生は高校のときに大きな転機を迎える。
結論から先にいうと、
入学して最初のクラスで
友達が一人もできずに孤立する。
以降の3年間、孤独感を抱えたまま、
高校を卒業することになる。
高校一年生
人と仲良くなる方法が分からない。
中学校では、僕は特別な存在でいられた。
成績もよかったし、生徒会長もつとめた。
だから、周囲からはチヤホヤされた。
人も勝手に近付いてきてくれた。
そのせいで僕は、
自分から人間関係を構築していく、
自分から主体的に人と関係を結んでいく、
っていう努力をする必要がなかった。
そんななかで、
僕は地元の進学校に進学する。
同じ中学校の出身者は10人くらい。
入学時のクラスには、
顔見知りは一人もいなかった。
そう、僕はこのとき、
物心をついてからは初めて、
1から人間関係をつくっていく必要に迫られたのである。
そして、自分はその術を知らなかった。。。
中学校では特別な存在だった自分も、
進学校においては、なんでもない一人。
今までのように、何かで目立ち、
それをきっかけにして人と仲良くなることができない。
慌てた。
「人と仲良くなるときって、
なんて声をかければいいんだろう。」
「どうしたら、仲良くなれるんだろう。」
「とりあえず、話しかけなきゃ。」
そんなことを考えて、
闇雲に周囲の生徒に話しかけた。
「今日の3限の授業ってなんだっけ?」
「宿題できた?」
「先生の言ってたことって、こういう意味?」
毎日、こんな当たり障りのないことを話しかけ、
会話がすぐに終わる。
もちろん、こうした事務的な言葉をやりとりして、
人と仲良くなることもない。
このときの僕は、
人が自分の気持ちや感情を伝えあって互いを知り、
そうして関係を深めていくものだと知らなかった。
面白い、嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい、、
僕の口から、こんな言葉が出ることはなかったし、
そもそも、自分が今、何を感じているか、
どんな気持ちでいるかにも無関心だった。
僕は、自分が何を感じていようが、
ただ言葉を交わしていれば、
いずれは人と仲良くなれると信じていたし、
一方で、いっこうに周囲と仲良くなれない現状に動揺した。
孤立して一人ぼっちになる。
結局、クラスに友達と呼べる人が一人もできないまま、
時間が経っていく。
周囲はどんどん仲良くなる。
自分は取り残される。
焦る。
一人になって、みじめな思いをするのは嫌だ。
そして、自分の孤立を避けるためだけに、
また闇雲に周りに声をかける。
人気者の言動を真似してみる。
その必死さがさらに皆を僕から遠ざける。。。
こうして僕は、一人ぼっちになった。
体育の授業でペアを組む相手がいない。
修学旅行の班分けも組む人がいないから、
余りもの同士で班を組む。
休み時間は、一人で机に座っていると
みじめな気分になる。
だから、図書室にいったりトイレにいったりして過ごした。
自分に強烈な嫌悪を抱く。学校に通うのが苦痛になる。
やがて僕は、友達がいないことで、
自分の人間性を否定し、自分を嫌うようになる。
自分には人を惹きつけるような魅力がない。
人としての内面が周りより劣っている。
自分の心をのぞき込んだところで、
現状に対する苛立ち、
将来への絶望、
自分の存在を恥ずかしく思う気持ち、
思春期の性欲、
こんなものしか見えてこない。
やっぱり自分は汚れている、
存在価値がないのだ。。。
自己肯定感なんて、当然なかった。
自分に対する自信だって、チリほどもなかった。
学校にいくのもイヤでイヤで仕方がなかった。
クラスの中に孤立して存在していることは、
「自分には友達がいません。」
「私はつまらない人間です。」
と自ら表明しているようで、とにかくみじめだった。
周りとうまくやれない、友達の一人も作れない自分を、
自分自身がずっと責め、罵り続け、
どんな会話をしたら友達ができるんだろう、
どう振る舞うのが正解なんだろう、
なんで自分はこんなこともできないんだろう、
こうした疑問で頭を一杯にしていた。
学校から帰ると、脳はヘトヘト。
家に着くや、たちまち布団に入り、
12時間くらいずっと眠り続け、起きてすぐ学校にでかける、
という日が何度もあった。
宗教や自己啓発本に頼る。でも成果が出ずに絶望する。
宗教や自己啓発本に頼ったのもこのときだ。
幼い頃からやっている宗教では、
「祈れば叶う」というのが謳い文句だった。
僕は時に1日1時間以上、ひたすらに祈った。
僕に友達をください、と。
でもいくら祈っても、その祈りが叶うことはなかった。
「祈れば叶うんじゃねえのかよ!」
僕は心の中でこう叫び、落胆すると同時に、
宗教に対する不信感を強めた。
自己啓発本も、加藤諦三氏の著書を貪るように読んだ。
そこでは、ありのままの自分でいなさい、と主張されていた。
自分を嫌ってはいけない、と書かれていた。
でも、
ありのままの自分でいるための「方法」、
自分を嫌わないでいる「方法」、
が分からず、僕には何の役にも立たなかった。
結局、宗教と自己啓発本の
どちらにもかなりの時間を投資した。
でもなんの成果も出なかった。
現状打開策が尽きたところで、
僕はいよいよ打つ手がなくなり、絶望した。
勉強の成績に自分の存在意義を見出す。
そんな中でも僕は、まだ人生を諦めきれなかった。
そして、勉強に力を入れるようになった。
友達の一人も作れない自分は、
人間的にはもうどうしようもない。
でも勉強さえできれば、、
いい大学に入りさえすれば、、
世間では認めてもらえる。
もう自分にはそれしかない。
人格、性格の欠陥を、
勉強と学歴でカバーしよう。
そう考えて、いい大学に入り、
人生を逆転することを夢みるようになった。
いざ本格的に勉強を始めると、
成績はみるみるあがった。
勉強に対する適正もあったと思う。
部活も入ってないようなものだったから、
勉強時間を確保するのも難しくなかった。
それで、
高校一年生の終わりには、
学年300人のうち、20番くらいになる。
東大や国立医学部を目指せる順位だ。
勉強の成績がよいことは救いであると同時に、
自分には勉強「しか」ないのだ、という思いが強くなった。
勉強ができなくなったら、
もう自分の存在価値はない。
そう信じて、言葉とおり、
「死にものぐるい」で勉強した。
高校二年生
初めての友人ができる。
高校二年生になり、
小さいが、とても大きな変化があった。
新しいクラスで
友人と呼べる人が一人できたのである。
その名前はS君。
S君は、孤立する自分に興味を示し、
自ら近付いてきてくれた。
最初に話しかけられたときには、
とにかく驚いた。
皆が腫れ物に触わるように扱う自分に対して、
まるで旧知の知り合いのように声をかけてくれた。
一年生の頃、欲しくて欲しくてたまらなかった友達。
そうなってくれそうな人が目の前にいる。
胸の底がじんと熱くなり、
嬉しくて、少し、照れくさいような気持ちになった。
S君は、話してみると、
優しくて、少し抜けていて、
そして、とても親しみやすい人だった。
以降、彼とは、
学校が終わったあとに一緒にラーメンを食べたり、
昼に食堂でごはんを食べたりした。
学校の中は常に息苦しかった。
でも、S君といるときだけは、
ちゃんと息ができる気がした。
それでも消えない孤独感。
それでも、クラスの中でまともに会話ができるのは、
たった一人、S君だけだった。
一方で、彼には、僕以外の友達がいた。
S君が他の友人と話しているときは、
やっぱり自分は一人。
どうしても、クラスにいるときの孤独感は消えなかった。
S君がいても、
自分には人としての魅力がない、
勉強しか取り柄がない、
という自己のイメージは変わらなかった。
家庭も荒れはじめ、学校にも家にも居場所がなくなる。
この頃、家庭環境も荒んでいた。
僕には2つ上の兄がいて、
当時、浪人生として家の近くの予備校に通っていた。
ただ、途中からは勉強への興味を失い、
予備校の授業をすっぽかして遊びにでかけたり、
友人とずっと長電話をしたりするようになった。
そして、
いっこうに勉強する素振りをみせない兄に母は怒りを募らせ、
毎晩のように、母と兄がケンカをするようになった。
その怒鳴り声や、壁や扉を蹴ったり叩いたりする音は、
僕をやりきれない思いにさせた。
もううんざりだった。
学校では孤立し、みじめな思いを感じつづけ、
家に帰っても心が休まらない。
このときばかりは、
家よりもむしろ学校の方が気がラクだった。
そんなことは高校に入学して以来、初めてのことだ。
それでも悲愴な思いで勉強を続ける。
こんなふうに、学校も家も悲惨な状況にありながら、
それでも僕は勉強をやめなかった。
誰かと遊ぶこともなく、
テレビ番組に夢中になることもなく。
自分から勉強をとったら、何も残らない、、、
そんな悲愴感を抱えながら、毎日机に向かった。
テスト前や受験シーズンに限らず、
毎日、深夜まで勉強した。
自分が寝る頃には、
家族全員がもうすでに寝ていた。
高校三年生
受験が近付きプレッシャーは極限状態になる。
高校三年生になると、受験を意識し始める。
この頃、僕は毎日、本当に毎日、
悪夢を見ていた。
何かに追いかけられる夢。
自分が殺されそうになる夢。
週に1回くらい、金縛りにもあった。(本当の話だ。)
それくらい、僕は極限のプレッシャーの中で勉強していた。
自分には勉強しかない、、、
受験に落ちれば人生が終わる、、、
自分の存在価値を作るために勉強に励んだ。
時折、なんで自分だけ、
こんなに苦しい思いをしているんだろう、と考えた。
重い足枷をはめられながら、
全力疾走させられているみたいだった。
勉強だけに集中できたらいいのに、
気付いたときには、
学校で孤立している状況が情けなくて、
自分に絶望し、自分を嫌い、責め、罵ってしまう。
お風呂の湯舟につかり、自分の手をみつめながら、
「僕の身体に他の魂が宿れば、
もっとこの身体を有効に使ってくれるんだろうな。」
と、生まれたことを後悔する気持ちになることもあった。
このときの自分はとにかく、
ここじゃない、どこか別の場所へ
行きたくてしょうがなかった。
もう、クラス内で孤立している
自分と向き合いたくなかった。
自分のことを誰も知らないところで、
人生をやり直したかった。
そして、それを実現するために、
とにかく大学に合格したかった。
進路選択の決め手は人間関係の希薄そうな学部。
進路選択は、最後まで迷った。
工学部か医学部か。
この選択にはいろいろな葛藤があったけれど、
最終的には工学部を受験することに決めた。
学問的な興味は、両方にあった。
そんななかで医学部を避けた理由の一つに、
人間関係に疲れたから、というのがある。
医学部は、クラス単位での授業や班単位での実習が多く、
工学部よりも、より人間関係が濃密なイメージがあった。
高校での人間関係に挫折した自分には、
高校生活の延長のような大学生活を、
さらに6年間も送るなんて、もうこりごりだった。
大学に合格し、地獄の高校生活が終わりを迎える。
こうした判断の末、工学部を受験し、
結果として僕は、第一志望の大学に合格できた。
合格が分かったとき、嬉しくて泣いた。
人生で初めての嬉し泣きだ。
周囲から孤立し、一人ぼっちで過ごした地獄のような高校生活が、
初めて報われた気がした。
そして、心から安堵した。
もう高校に行かなくていいんだ。
もうあんなみじめな思いをしなくていいんだ。
もう自分をいじめるような、辛い勉強をしなくていいんだ。
自分を誰も知らないところで、新しい生活を始めることができるんだ。。。
合格できたからよかった。
精神的に疲弊しきった中での勉強をもう一年続けることは、
僕にはできなかったと思う。
その意味で、僕は本当にギリギリのところで、
人生を持ちこたえたのだ。
そして大学へ。
そして、大学生活が始まる。
僕がまず初めにしたことは、
大学のカウンセリングルームに通うことだった。
自分の人間としての「おかしさ」を矯正するところから、
人生を再スタートしようとしたのだ。
これはまた別記事に書こう。
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