こんにちは!
僕の家は自分を含めて3代にわたって創価学会に入会しており、
そんな僕は学会3世とよばれます。
小さい頃に勤行・題目(ごんぎょう・だいもく、お経を唱えること)を教えられ、
仏壇の前で祈ることと、定期的に開催される集会に参加することは
生活の一部でした。
やがて、社会人になると、
本格的に学会の活動を行うのですが、
この記事では、
学会活動をするなかで僕がイヤだったこと
を紹介します。
なお、初めに断っておきますが、
僕は現在、一切の学会活動を行っていません。
その理由は、創価学会から教えられたことを実践しても、
自分の悩みは解決されず、幸せにもなれず、
最終的に期待するのを辞めたからです。
詳細は別記事に書きました。
正直なところ、僕はこの記事を
誰に向かって書いているのかよくわかりません。
誰にも打ち明けられなかった不満を
ただ吐き出したいだけな気がします。
なぜ打ち明けられなかったのか。
それは、学会の内部において、
学会に関する何らかの不満を表明することは、
信仰に対して疑いの目を向けている、と捉えられてしまうからです。
信仰を疑うこと、それは絶対にしてはいけないことでした。
仮に僕が不満を漏らしたとしても、
あらゆる教義を引き合いに出して、
「間違っている」僕を適当になだめて終わるのが目に見えています。
両親や兄弟でさえ、することは同じです。
それに、
他ならぬ自分自身が、自分を強く責めてもいました。
「創価学会の活動に対して、こんな不満をもってしまう自分はおかしいのだ、間違っているのだ」と。
その結果、行き場をなくした僕のネガティブな感情は、
どこにも吐き出されることなく、胸の中で膨らみ続けることになりました。
一人の学会員が抱えた苦悩、不満を
興味本位であっても人に知ってもらうことができたら、、、
僕の気持ちも少しだけスッキリしそうな気がしています。
■そもそも学会活動を頑張っていた理由
創価学会で教えられるとおり、
以下のことを忠実に実行していれば、
幸せになれると信じていたからです。
・日々の勤行・題目
・勧誘活動
・選挙の支援活動
・集会の運営、補佐、参加
・など
だからこそ、
毎日とはいえないまでも朝と晩に仏壇の前で祈っていたし、
仕事のあと、夜21:00からの集会に参加していたこともあったし、
何人もの友人に勧誘もしたし、
選挙の投票を依頼したりもしました。
確かに学会活動の中には、
これから挙げるような、イヤだったこと、したくないことが
ありました。
でも、自分の悩みを解決し、幸せになるためには、
それらは乗り越えなければいけないものだと感じていたんです。
■学会活動で僕がイヤだったこと3つ
友人を勧誘したり、選挙での投票を依頼したりすること
友人の勧誘や、選挙での投票を依頼する活動は、
とにかく気が進みませんでした。
理由は2つあって、
1つは、傷つきたくなかったからです。
たいていの場合、相手からは嫌な顔をされます。
ただでさえ自己肯定感が低くて、自分に自信がない僕は、
人からの露骨な嫌悪や失意の表情、言葉によって、
切り裂かれるような心の痛みを感じました。
誰も好き好んで傷つきたい人なんていませんよね。
僕もそうでした。
理由の2つめは、友人を失いたくなかったからです。
というのも、勧誘したり、選挙での投票を依頼したりすることは、
友人に対し、自らが創価学会員であることを表明するのに等しい行為です。
基本的に多くの人は宗教に良いイメージをもっていなく、
僕の友人も同じです。
だから、宗教の関係で声をかけてきた僕を警戒します。
以前は信頼をおいてくれていた人でさえ、
ちょっとヤバい人だと僕への認識を改めることになります。
それでもなお、
今までとおりに付き合ってくれる友人がいる一方、
僕は何人もの友人を失いました。
ただでさえ多くない友人をこうして失っていくのが
とてもイヤだったんです。
選挙においてノルマを管理されること
選挙において友人に投票を依頼する活動では、
数字がきちんと管理されます。
つまり、依頼する友人の「数」の目標を定め、
その達成状況を逐一、リーダーに報告することになります。
営業の方が、売り上げ目標(ノルマ)を定め、
進捗を定期的に上長へ報告するのと同じです。
もちろん高い目標を定めて、それを達成できた人は
リーダーから褒められるし、周りからもチヤホヤされます。
一方で達成できなければ、次はがんばろう、と励まされ、
プレッシャーをかけられます。
僕はさながら、非力な営業マンのようでした。
依頼できる友人の数も少ないし、
依頼したところで嫌な顔をされ、冷たい反応が返ってくるのが分かっているから、
なかなか勇気が出ません。
勇気を振り絞って友人に依頼しますが、
それでも、期待される数には達しません。
このため、リーダーから定期的に進捗をフォローされるのが
苦痛で仕方ありませんでした。
目標を宣言させられること。それも大きな声で。
宗教を信じる人って、
おとなしくて真面目で温和なイメージがあるんじゃないでしょうか。
実際、そういう人も多いですが、
若い男性の学会員(主に20代~30代で、男子部とよばれる)を集めた集会では、
体育会系の色合いが強くなってきます。
というのも、男子部では、
勧誘や選挙の投票依頼といった、学会の外部の人にアプローチする活動が
重要視されていて、
そのなかで中心的な役割を果たすのが、
外向的かつ組織の指示に忠実に従える、
どちらかというと体育会系の人たちだからです。
実際に、こうした人たちが高い役職についていく結果、
男子部の集会は、彼らの空気に染まっていきます。
僕は、この体育会系の雰囲気がイヤでたまりませんでした。
例えば、集会ではときに、
全員の前で一人ずつ目標を言わされることがあります。
この目標は、自己完結するものではなくて、
学会外の人に何らかのアクションをとるものが、
よしとされます。
例えば、
「今日は〇〇くん/さんを集会に誘います!」とか、
「今日は〇〇人に選挙の投票を依頼します!」とか。
なおかつ、これらをただ喋るのではなくて、
声は大きな声を出すべき、張り上げるべきといった「空気」があります。
自分を鼓舞するとか、周囲の志気を高める意図があるんでしょう。
すでに書いたように、
僕は勧誘や選挙の投票依頼といった活動に消極的で、
人に宣言するような目標なんかなかったので、
これを強制的に言わされるのがとてもイヤでした。
それに、大声を出すことにも何の意味も見出せず、
なんでこんなことをしないといけないんだ、
っていう思いを拭いきれませんでした。
■最後に
「そんなに嫌ならやらなければいいのに。」という声が聞こえてきそうですが、
そのとおりなんです。
だから結局、僕は学会活動に関わるのを辞めたし、
そんな今、とてもスッキリした気持ちでいます。
これまでは創価学会に盲目的にしたがい、
そこで生じる不満もムリヤリに抑え込んできた人生でしたが、
今後は自分の頭で考え、
心から楽しい、したいと思えることに時間を使っていくつもりです。
コメント
コメントを失礼します。
私も3世で既に脱会しています。
とても共感できる記事でした。自分だけではないと嬉しく思いました。
>8823さん
コメントいただき、ありがとうございます!
同じように悩んでいる方ってきっと多いはずですよね。。
共感してもらえて、僕もとても嬉しいです!^^