「祈りは必ず叶う。」
創価学会ではまずこう教えられるのですが、、、
なんて魅力的な言葉でしょう。
欲しい物はなんでも手に入る。
自分の悩みもすべて乗り越えられる。
その場合、あなたは具体的に何を願いますか。
もっと年収をあげたい、
素敵な人と結婚がしたい、
大きな家に住みたい、
明るい人間になりたい、
頭の回転を早くしたい、
有名になりたい、
偉くなりたい、
、、、
なんでもいいんです。
オールOK。
すばらしいと思いませんか。
ただし、願いが叶うのには条件があるんです。
仏法を学ぶ。
日々、仏壇の前で祈る。
身近な人を勧誘する。
選挙があれば友人に投票を依頼する。
集会を運営する。
など。
要は、学会組織に貢献する活動をたゆまず行い、
徳(学会用語で福運といったりもします。)を積み重ねる。
そうすることで願いが叶っていく。
叶わないとすれば、まだ努力が足りない。
もっとたくさんの徳を積まないといけない。。。
つまり、学会はこういうことを言っている。
「あなたの願いは必ず叶うよ。ただし、あなたが組織の活動を頑張れば、ね。」
人間、生きていれば誰しも、叶えたい夢や希望、乗り越えたい課題、悩み、
そうしたものを心に秘めているはずです。
それは大っぴらには言えないような一見、幼稚と思われかねない夢であったり、
あるいは逆にもっと切実な金銭問題や健康問題であったりするでしょう。
ああ、この願いが叶ったら、どんなに嬉しいだろう。
ああ、この願いが叶ったら、どんなに幸せだろう。
そこを突く。
その願いを叶えたい、という会員の欲望を刺激する。
組織の活動を頑張って、徳を積んでいけば、その願いは必ず叶うよ、と。
だから、学会活動を一緒に頑張ろうね、と。
まじめな学会員は学会のためにいくらでも無償で働きます。
平日休日問わずの集会参加、運営。
勧誘活動、選挙の投票依頼。
なぜそんなに頑張ることができるのかといえば、
みな自分の心に秘めた願いを叶えたい、と思っているから。
(世界平和や人の幸福という崇高な理想のために
身を捧げている人がいることも否定しません。)
組織の活動を頑張り、徳を積んでいけば、
やがてその願いはきっと叶う、と心から信じているから。
もし願いが叶わないのなら、さらに徳を積もう。
こう考えて、いっそう学会のために働くようになります。
ここに、やりがい搾取とまったく同じ仕組みが働いていると思うのは
僕だけでしょうか。
俗にいう、やりがい搾取は、雇用主が社員に「やりがい」を意識させることで、
十分な対価を与えずに不当に働かせる。
学会は、徳が積めるよ、と一言添えることで、
組織運営に必要な作業を「やりがい」のある作業に変える。
組織運営に必要な作業を願いを叶えるための、徳を積むための作業に変え、
そして、会員を無償で働かせる。。。
ふつうであれば、
勧誘活動も、
選挙の投票依頼も、
こうした作業を誰もやりたがりませんよね。
嫌な顔をされたり、断られたりといった
傷つくようなことにも耐えないといけないし、
そもそも勉強、仕事、家庭があり、みな忙しいからです。
でも、それらをすることで徳を積むことができ、
やがては自分の願いも叶うとなれば、、、
むしろ積極的にその活動に取り組む人もいるでしょう。
はい、僕がそうでした。
活動に真剣に取り組んでいた時期、
1日に何時間も祈っていました。
何人もの友人を勧誘し、
たくさんの人に選挙の支援をお願いしました。
そこまでしても僕には叶えたい願いがあった。
それは、「自分を変えたい」ってことだったんですが、
それはさておき。(詳細は別記事に書きました。)
僕は言われたとおりに学会活動を実践し、徳を積んだ、、はずである。
なのに、自分の願いが叶わない。
いっこうに自分が幸せだと感じる状態にならない。
そのうえ、勧誘した友人は僕に愛想を尽かし、
どんどんと去っていってしまう。。。
僕にはそれでもなお、ここからさらに徳を積もう、
という気力は残っていませんでした。
やれるだけのことをやり、
疲れた身体と頭でふと思ったんです。
ああ。
僕は組織に都合よく利用されていただけなのかもしれない。
学会は、「願いが叶う」という魅力的な、
だけど決して手に入らないニンジンを目の前にぶら下げた。
そうすることで僕が学会活動に取り組む意欲を刺激した。
いわば学会活動に取り組むモチベーション、やりがいを与えた。
そして、僕を組織に協力させていた、、、のかもしれない。
それはまさに、やりがい搾取だと感じました。
そうか。。。
いくら教えられたとおりに努力しても、
自分の願いが叶うことはないんだな。。。
冷静な頭でそれを理解したとき、
身体から一気に力が抜けました。
それから、僕は学会活動への参加を辞め、
宗教により悩みを解決しようとするのを諦めたんです。
fin
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