人生の記録を書こうと思ったきっかけ。

今更になりますが、
人生録を書こうと思った理由をここに書いておこうと思います。

 

結論からいってしまえば、
自分と同じように愛着障害に苦しむ人を励ましたかったからです。

 

愛着障害は、苦しいです。本当に苦しい。

親から得られなかった愛情を、周囲の人から得たいと思う。
周りにいる人と、深く心を通わせるような関係を結びたいと思う。

でも、心から愛された経験や、
のびのびと自分を表現してそれでも受け入れられた経験がないから、

自分に自信がもてない。
自分が空っぽな感じがする。
自己肯定感がとても低い。
自分の感情に気付けないし、表現できない。
自分の思いを主張できない。

だから、人とうまくコミュニケーションがとれない。
本音をぶつけあったり、互いに喜び合ったりといった、
心の底が揺れ動くような人との交流がどうしてもできない。

喉から手が出るほど、温かくて楽しくて、心の通った人間関係を
求めているのに、それが手に入らない。

だから苦しいんですよね。

僕もそうでした。

 

そして、その愛着障害の苦しみは、おおかた周囲から理解されません。

親は、その原因でもあり、精神的にまともでもないから、
この苦しさを理解できません。

周囲の人も同様です。
愛情を十分に受けて育った人には、この苦しさは分かりません。

だからこそ僕は、身の回りに誰も味方がいないように、
自分一人だけがもがき苦しんでいるように感じていました。

人に理解されない悩みをもつこと。
それはとてつもない孤独です。

自分の思いに共感してくれる人がほしくてたまらないですよね。

 

幸いにも僕は、愛着障害の回復を専門とするカウンセラーの方と
出会い、自分の思いを受け止めてもらうことができました。
本当に少しずつですが、回復にも向かっています。

でも、そうしたことがすぐにはかなわず、当時の僕のように、
愛着障害の苦しみ、孤独に一人で耐えている方が
きっとたくさんいると思うんです。

 

僕は自分の人生にあった出来事や当時の思いを書くことで、
あなたのそばに「僕」という一人の人間を浮かび上がらせたい。

そうすることで、その心に少しでも寄り添えたら、
少しでも孤独を埋められたら、と思ったんです。

その孤独、辛さ、寂しさ、苦しさが痛いほどに分かるから。

偽善的に聞こえるかもしれないですが、本当に心からの思いです。

幸いというか、僕は、愛着障害になるべくしてなった気がしていて、
あなたの人生と共通する部分も多いと思うんです。

・両親からの情緒的ネグレクトを受けていた。
・宗教による道徳観念の強い刷り込みにより、
子供らしい幼少期を生きられなかった。
・小中学校を優等生として生き、模範生としての役割を
果たさなければならなかった。

こうした人生を、苦しみとともに僕がどう生きてきたのか。

そこに、なんらかの共感できる部分を見つけてくれたり、
反面教師にできるところを見つけてくれたりすれば、、、

僕の苦しんだ人生にも意味があったと思えます。
あなただけでなく、僕自身が救われます。

 

「一番苦しんだ人が、一番幸せにならなければいけない。」

僕の家は創価学会に入会していて、そこで教わった言葉です。

最終的に僕は宗教を信じるのをやめました。

でも、この言葉だけは本当だと信じています。

僕もあなたも人よりも数倍、いやもっと苦しんできた。
だから、人よりもずっとずっと幸せにならないといけないんです。

これまで苦しんできた分を取り返し、
さらにこれからの人生を存分に謳歌しないといけないんです。

 

自分の人生を記事にしたとき、
全部でどれくらいの量になるかは分かりません。

でも、興味の湧いたところから、部分的にでも、
のぞいていってくれると嬉しいです。

表現力はさておき、一つ一つの記事を心を込めて書きます。

 

最後に、だけどとても重要なことを。

愛着障害は心の病気です。

あなたがその苦しみを抱えているとしたら、
自分でなんとかしようとするのではなく、
まずは医療機関やカウンセラーの方に頼ることを検討してくださいね。

僕自身、カウンセリングを受けることを決断していなかったら、
回復の目途もなく、いまだに苦しみ続けていると思います。

そのうえでこのブログが、あなたの心を少し和ませる
役割を果たせたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

fin

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