「みなさん、聞こえてますかー?」
オンライン授業の冒頭。
先生が自分のPC画面を共有してからこういいます。
受講者は100人。
でもたいがいの場合、1回は無視されます。
広がる沈黙。
貝のごとく黙る聴衆。
先生は改めて聞きます。
「えーと、聞こえてますかー?」
「誰か反応してくれると助かりますー。」
すると、やっとこさ誰かが応答する。
「大丈夫です。聞こえてますー。」
これで先生も一安心。
ようやっと授業が始まる。
こんな状況。
あなたも大学生なら
なんども経験していませんか?
最初に先生が「聞こえてますか?」
といったとき、とっとと生徒の誰かが応答すればいいんです。
そうすれば、先生だって何度も呼びかける必要がないし、
ちゃっちゃと授業を始められる。
でも、生徒にはそれが難しい。
そう、とても難しいのです。
まず、先生が「聞こえてますか?」と呼びかけたとき、
生徒全員が思うこと。
「誰かが返事してくれよ。」
これですね。
うん。間違いない。
僕もそうです。
自分以外の誰かが先生に応答してくれる
ことを願う。
実際にやることといったらミュートを外して、
「聞こえてます。」
っていうだけ。
たった6文字を発すればいいだけなのに、
自分はやりたくない。
なんで自分が100人を代表して
先生に応答せねばならんのだ、
とケチな思いが湧いてくる。
仮に自分が応答したとしたら、
他の人たちは答える必要がなくなって
「ラッキー!」
と思うだろう。
それが悔しい。
授業にタダ乗りされた気になってくる。
だから、僕は「聞こえてます。」の
6文字を惜しみ、沈黙する。(たまに惜しまないこともある。)
さらに、先生の呼びかけに颯爽と応答すると、
「あれ、ヤマグチ、、、先生にいいかっこを見せようとしてる?」
って思われる気がする。
先生に媚びる生徒は、
昔から周囲に疎まれるものと相場が決まっている。
だから、応答するのをためらう。
100人の聴衆を前にして、
先生の喜ぶことを率先してするのは気が引ける。
もっというと、
「あれ、ヤマグチ、、、目立とうとしてる?」
「好きな人にいいかっこを見せようとしてる?」
とも思われる気がする。
もちろん聴衆100人の中に僕の好きな人が
いるなんてことはない。
でも、その人にアピールしているかのように
周りに勘繰られるのがとても恥ずかしい。
こんな感じで、
授業の冒頭で先生が「聞こえてますか?」と呼びかけるたび、
僕の心の中には葛藤が起こる。
みんなを代表して自分が応答すべきか、迷う。
ざわざわする。
で結局、返事をためらうことが多い。
(返事することもある。)
けっこう、同じような人が多いんじゃないでしょうか。
その結果として。
授業冒頭での「聞こえてますか?」の呼びかけが、
1度は全員から無視されるという
悲劇が起こるのだと思うんです。
さて。
ここまで書いていて、小学生頃に聞いた
ある逸話を思い出しました。
この状況にわりあいマッチしそうなので、
ご紹介しますね。
フランスのある村でのこと。
何十年も働いた教師が退職して
故郷へ帰ることになった。
村人たちは御礼をこめてワインを送ることにした。
広場に樽をおき、そこへ村人全員が自分の家から
コップ一杯のワインを注ぎ入れることにした。
教師は喜んで樽を受け取り故郷へ帰った。
だが、飲んでみると、それはただの水だった。。。
「自分だけならいいだろう。」
村人全員がそう考え、
樽の中へワインの代わりに水を注いでいたという話です。
小学校のときに先生が言っていた教訓。
「自分だけならいいや。
他の人がやってくれるだろう。
こういう発想はやめましょう。」
いかにも小学校の道徳にでてきそうな話ですね。笑
ともあれ。
オンライン授業の話に戻ります。
先生の「聞こえますか。」との呼びかけに対し、
「自分は返事をしなくてもいいだろう。」
と全員が考えた結果が、
あの沈黙。
あの悲劇だと思うのです。
さあ、みなさん。
今こそ、先生の呼びかけに返事をするとき!
とっとと先生に応答し、
授業をさっさと始めようではないですか!
(まずは自分が頑張ろうと思います。)
fin
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