「やるべきこと」「すべきこと」「周囲から期待されること」。
そうしたものをこなすことに適性があったんだと思う。
勉強: 成績がよくて人より目立った。
リーダー役: 学級委員や生徒会長を任された。
研究: 論文に掲載されるような成果を挙げた。
仕事: そつなくこなし出世株ともてはやされた。
もちろん努力もしたけれど、
その努力はすべて実った。
努力して努力して、結局失敗に終わった、
っていう経験が僕にはあまりない。
なんでこんなことが可能だったのか、
と今考えてみる。
思うに、
「自分の感情を無視できたから」
っていうのがとても大きいと思う。
疲れている。
人間関係で傷ついた。
学校に行きたくない。
こんな仕事をしたくない。
あの人が嫌い。
イライラする。
など。
こうした「人間らしい」ネガティブな感情をすべて無視して、
いわばスイッチを切るように感じないようにして、
僕は猛然と「今やるべきこと」をこなすことができた。
自分の感情なんて、
「やるべきこと」の前では邪魔なだけだと思っていたし、
だからこそ、周りの人が「人間らしく」感情に振り回されている間、
その間も僕はもくもくと自分の仕事をこなし、成果を挙げることができた。
そう、まるでマシーンやロボットのように。
こうした生き方を続けてきた結果、
僕は少しずつ感情を失っていったのだと思う。
ネガティブな感情だけでなく
ポジティブな感情も含めて。
自分が楽しいのか。
嬉しいのか。
悲しいのか。
イライラしているのか。
すべてがぼんやりとして、
はっきりしない。
当たり前といえば当たり前かもしれない。
今まで、何十年も自分の気持ちと
向き合うことを避け続けてきたわけだから。
感情を喪失していくと、
自分そのものがよく分からなくなる。
自分は何をすると嬉しいのか。
何をすると楽しいのか。
自分は何をしたいのか。
これまでの人生はすべて「やるべきこと」をこなすことに
捧げ続けてきた。
だから、いざそれがなくなったときに
自分が何をしてよいのかが分からない。
途方にくれる。
もちろんというか、
そんな僕は周りからは冷たい人に見られる。
「やるべきこと」
「すべきこと」
はちゃんとこなしてくる。
先生に言われたこと。
与えられた仕事。
だから、日常生活を送るうえでは
問題は起きない。
でも会話をしてみると、
そこから全然人間らしさを感じられない。
感情表現がない。
とても冷たく感じる。
人からそう評価されるたび、
僕は心の底から傷つく。
ただ、それは自分が自分の感情を
無視し続けてきたことのツケである。
自分が自分の気持ちを汲み取ろうとしなかった。
自分の人間らしい感情や心の動きにあまりにも無頓着だった。
そのせいで自分でも自分の気持ちや感情をつかめないし、
もちろんそれを外に表現することもできない。
だから、人からはロボットのように人間味がなく見えるし、
そんな人と交流したいと思われない。
人間関係には支障が出るし、
人との温かい交友関係を築けない。
どこでも自分が浮いてしまう。
僕はこうした愛着障害を克服しようともがいている。
戦っている。
本音を言えば、
嬉しいことや楽しいことを人と共有して喜び合いたい。
ふざけたことを言い合って心の底から笑い合いたい。
本当の気持ちや感情を分かち合って、共感し合いたい。
そんな理想に向かって、
自分の感情を懸命に取り戻そうとしているところだ。
こうした奮闘の過程をブログに綴っていきたいと思う。
fin
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