[保育園時代]保育園の思い出。中退する私。


さて。僕の人生の記憶は5歳、保育園に通い始めたくらいから
始まっています。

それ以前のことは、写真を見せられても、思い出を語られても
何も思い出せず、、
そんなわけで、この人生録をその5歳から始めたいと思います。

さかのぼりすぎだ!と言われそうですが、さかのぼってしまいます。

 

この頃のことで強く印象に残っているのは、
保育園の昼寝の時間がとにかくイヤだったこと、
先生にひどく怒られたことです。

とりわけ前者が自分にとってあまりにも苦痛で、
最終的には親に訴え、保育園に通うのを辞めます。

本記事ではこのあたりのことを書いていきます。

 

なお、この2つのエピソードもそうだし、
これ以降の人生もそうなのですが、

僕は「イヤだったこと」や「心を傷つけられたこと」など、
自分の身におきたネガティブな体験を強烈に記憶していて、

「嬉しかったこと」や「楽しかったこと」などのポジティブな体験は
その1/10くらいしか覚えていません。

そもそもそうした体験が少なかったのかもしれないし、
あるいは自分の感情がネガティブに
振れやすかったのかもしれません。

そんなわけで、僕の人生録は全体として暗いものになりそうですが、
あなたの心が元気なときにのぞいていただけると嬉しいです。笑

 

それではいきます。

■地獄のように苦痛だった昼寝の時間

保育園といえば、昼ごはんを食べたあとに、
お昼寝の時間があります。

30を過ぎた今では信じられないですが、
当時の僕はとにかく昼寝ができませんでした。

周りの子は布団をしいて、すぐにすやすやと眠り始めるのに、
自分だけがまったく眠れないんです。

こんな日が続き、
やがてはVIP待遇を受けるように。

布団に入って眠れずにいる僕の横に
先生も一緒に横たわってくれ、

さらにはおでこを手のひらでとんとんと優しく叩き、
眠れるようサポートしてくれました。

さあこれで先生の懐に抱かれ、
安心の温もりのうちに眠れるようになった、、、わけでもなく、
それでもやっぱり眠れない日の方が多かったと思います。

それに、横にいる先生はどことなくマイナスのオーラというか、
「早く寝なさい。」というメッセージを発してたというか、、、

僕は「早く寝ないといけない、、」という、
ちょっとした焦りのような、義務感めいたものを感じたのを覚えています。

やがては、眠れないにも関わらず、じっと布団に横たわっていないといけない、
という昼寝の時間が嫌で嫌でしょうがなくなりました。

例えていうなら、夜行バスにのって夜、まったく眠れない状況と一緒ですね。

真っ暗にされて、本を読むこともできず、映画をみることもできず、
ただ目をつぶり、じっとしていないといけない、って苦痛じゃないですか。

これと同じ状況が、5歳の僕に起きていたんです。

■先生に怒られた思い出(人生初)

ある日、先生が園児たち、皆の前で話しているとき。

僕がつかつかと先生の足元に近寄り、
「トイレに行きたいから連れて行って!」と訴えたことがありました。

愛着障害を発症する高校生以降は、自分に自信がなくなり、
とにかく目立つこと、人の注目を集めるのを避けるようになったのですが、

この頃の僕は、周りの目を気にすることなく、
こうした自分の要望を先生に堂々と主張できる子だったようです。

それはさておき。

先生はもちろん、「話が終わるまで待ちなさい。」と言います。

そんな先生のいうことも聞かず、
今すぐにトイレへ連れて行くように訴え続ける私。

先生「静かにして!話が終わるまでもう少し待って。」

私「嫌だ。今すぐにトイレに行きたい。」

ぎゃあぎゃあ、と騒ぎ続ける私に、
ついに先生も業を煮やし、私を部屋から連れ出しました。

トイレに連れていき、小便器の前に立たせます。
そして、ズボンを勢いよくずりさげて叫びました。

「早くおしっこしなさい!」

そのときの先生の形相と、甲高い怒鳴り声があまりにも怖く、
ただただ大声で泣き続けたのを覚えています。

あまりの恐怖で尿意も引っ込み、おしっこも一滴も出ませんでした。

今思うと、先生にただかまってほしくて、
実際はトイレに行く必要もないのに
行きたいと訴え続けていた可能性もあるのかな。。

いまいちはっきり覚えていないのですが。

ともあれ。

親を含め、あんなに大声で怒鳴られたのは、
このときが人生で初めてだと思います。

それくらいショッキングな出来事であったからこそ、
今でもはっきりと記憶しているのだと思います。

■親にお願いして保育園を中退

そんなこんなで、何よりも昼寝の時間が苦痛で、
ついには保育園を辞めたいと親に訴えます。

当時の自分が、親に対してどこまで詳細に
自分の気持ちを説明できたかはよく分かりません。

ともかく、親はその懇願を聞き入れてくれました。
母は専業主婦であり、
昼間に僕の面倒をみることも現実的に可能だったのです。

そう、僕はこれで保育園中退者となりました。

昼間の時間、保育園にいかず家にいれることに
とてものびのびとした気持ちになったのを覚えています。

苦痛から解放されたことの嬉しさだったはずです。

■最後に

先生にまつわるエピソードから、
当時の僕は、先生の(ネガティブな)感情を
とても敏感に感じとることができたといえそうです。

繊細であったともいえるはずです。

この心の繊細さ、小さなことで生じる大きな感情の起伏を、
周囲に、とりわけ親に理解して受け止めてもらえなかったこと
(親については別記事にまとめました)。

このことが、のちの愛着障害につながったと思っています。

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