かー、、、油断すると、ブログ記事を書いてからすぐに時間がたっちまう。
やっぱり文章を書くって、自分のなかで、
ちょっと気合を入れないといけないんですよ。
弛緩した頭に喝をいれないといけない。
そんなもんで、ついつい、他のことを優先しちゃう。
そりゃ、ネットフリックスみてギターひいてさ。
ゲームしてりゃラクですよ。
思考しなくていいんだから。
でもね。
やっぱりボクには、自分の内面とか感情、気持ちを表現して、
どこか世界とつながっていたいって気持ちがどこかにある。
自分の文章がだれかの心に届いて、
共感なり、反発なりの反応をよんでくれたら、って思っちゃう。
だから、今日も文章を書きますよ。
さて、いきなりですが、
わたしの大好きな本に「天国までの百マイル(浅田次郎)」があります。
カンタンに要約してしまえば、重い病気を患った母を、
3人の息子のうちの1人がいっしょうけんめいに助けようとする話なんです。
母は今でいうシングルマザー。
極度の貧困の中で、狭い狭い一間の部屋でなんとかして息子3人を育てあげるんです。
そんな母の病気を聞いて、息子たち全員が救済に乗り出したかというと
そうではなく。
あくまで3人のうちの1人だけなんですよね。
なんとか母を救おうと、名医や、よい病院探しに奔走したのは。
じゃあ、残りの2人はどうしたか。
無視したんです。母を。
立派な職業につき、結婚もして、すでに人並みの幸福を手に入れているにも
かかわらず、、、です。
でね。
そんな息子の態度をみてね。
母がいうんです。
「それでいいの」、と。
ヤケクソで言ってるんじゃないですよ?
本当に心から、そういうんです。
母が続けます。
「
貧しい家から、
立派な職業についたり、
高給を稼いだり、
幸福な結婚をしたり、、、
こういうのは、本当に本当に大変なことなんだ。
忘れていいんだ。
貧しかった家のことも。
私のことも。
それで幸福になりなさい」
と。
この一連のエピソードがとても印象に残っているんですけど、
わたしが今回、記事でとりあげるのはココです。
「
貧しい家から、
立派な職業についたり、
高給を稼いだり、
幸福な結婚をしたり、、、
こういうのは、本当に本当に大変なことなんだ。
」
そう。
お金のない家から、
いわゆる高い社会的ステータス、高給を得ていくのはとても難しい。
そう。
そうなんですよ。
いわゆる、まあ、親ガチャですね。
裕福な家の子どもには、
たくさんのお金が投下される。
学校のほか、塾にかよい、十分な教育を受けることができる。
それでいい学校、いい大学にかよい、安定した会社に入る。
立派な職業につき、
家柄のよいお嬢さんと結婚する。
反対に、お金のない家に生まれると、
塾にかようことが難しかったり、
大きくなればバイトせざるをえなかったり。
その結果、受験で苦労し、大きな会社に入ったり、高いステータスを得るのが難しくなる。
収入が低くなり、苦労が増える。
でね。
ボクの生まれ育った家庭は、後者でした。
食べ物に事欠くことはなかったけれど、
お金はなかった。
ただね。
だからこそね。
ボクは努力したんですよ。
自慢に聞こえるかもしれないけれど、
これは自信をもっていえる。
ボクは努力しました。
高校は塾にかよってません。
いろいろな受験本とか予備校講師の本から、
いい参考書を見つけ出して、独力でひたすらやる。
分からなかったら、学校で先生に質問する。
大学受験のときは、毎日悪夢をみるほど追い詰められた精神状態で、
深夜まで勉強しました。
その結果、日本有数の旧帝大に合格できました。
でね。
いわゆる大企業に入って、高給をもらってました。
最終的に辞めてしまうんですけどね笑
ともかく。
そう。
お金のない家から、這い上がるのは大変なんです。
流れに身を任せているだけで、
自動的に高い給料や、高いステータスを得られることはないんです。
人生のどこかで爆発的な努力をしないといけない。
そして、ボクはそれをした。
それができた。
才能もあったと思うけれど、
そのことを今、誇りに思うんです。
苦労した人の話を聞くこともあるんですよ。
高校生活になじめなくて、高校を中退したと。
高卒認定試験をパスして、苦労して大学に入った、とかね。
それ自体はすごいことだと思いますよ。
でもね。
よくよく話をきいていくと、
実は親が医者だったとか、高い役職についている人だったとか聞くとね、
なーんだ、って思っちゃう。
結局、親のサポートがなければ何もできなかったじゃないかと。
親の庇護があってこその今の成功じゃないかと。
そういうのを聞くとね。
親の支援もなく、
コツコツと努力を積み上げてね。
貧しい家から、自分の力で努力して這い上がってきた自分を心から誇りに思うんです。
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