子供っぽい自分の気持ちを認めてあげる

2度目の大学生活を送っているぼくは、
今、前期末のテストに向けて、絶賛テスト勉強中です笑

でね。

この記事をなかば現実逃避ぎみに
書いているのをゆるしてください笑

 

さて。

テスト前で今、必死こいて勉強しているんですけど、
勉強するときの心もちが
愛着障害を抱えていたときと、回復しつつある今で違っていることに
気付いたんです。

 

愛着障害を抱えていたときは、
テスト前、こんな心の声が聞こえていました。

テスト前なんだからちゃんと勉強しろ!
遊ぶのなんか、テスト後だっていいだろ!
今は、テストに集中しろ!
テスト直前に友達と遊ぶなんてもってのほか!
ゲームなんてもってのほか!
ネトフリもyoutubeももってのほか!
寝る時間と食べる時間以外は勉強しろ!

プロアスリートが大会に臨む前のような厳しさですよね笑

それくらい、ぼくは鬼気迫る思いで勉強に取り組んでいました。

学校の小さなテストであっても、
常に満点を目指して勉強するような人間だったんですね。

なんでこんなことになっていたかっていうと
2つあると思うんです。

1つは、勉強ができることが自分の唯一のアイデンティティーだと
思っていて、
勉強のできない自分になんか価値がないと思っていたこと。
だからこそ、自分の価値を証明するために、
勉強面で、必死にまわりよりも優れようとしていたんです。

もう1つは、自分の本当の気持ちや感情をないがしろにしていたこと。
これは愛着障害を抱えている人、みんなそうだと思うんですけどね。
ぼくは、自分がしたいことややりたいことなんかよりも、
社会的によしとされることや、周囲に期待されていることを行動にうつすのが
正しいと本気で思っていました。
だから、「学生なんだから勉強すべき」という正論で、
自分で自分をムリヤリに机に向かわせていたんです。

こんな感じで、もうテスト前なんて、憔悴するまで自分を
追い込んでましたね。

(大学受験のときなんて、それこそ大変で、毎日悪夢を見ていました笑)

 

それが今、愛着障害を回復しつつあるとね。

勉強しろ!という高圧的な心の声に、
反発する自分がいるんです。

えー?勉強なんてめんどくさいよ。
ネトフリでメンタリストをあと1エピソードみたい。
スプラトゥーンをあと1戦したい。
マッチングアプリでかわいい女の子を見つけたい。
ちょっとギターでも弾きたい。
久しぶりにブログ更新したい。
もっと布団でごろごろしていたい。
インスタで美女の画像を眺めていたい。

こんな感じで、自分の中にいる、
わがままで怠け者で子供っぽい自分が、
心の中でいろんなことをいうようになった。

自分をムリヤリに動かそうとする正論に
異議をとなえるようになったんです。

言い方をかえると、
自分の中の子供っぽい感情、欲望を認められるように
なったって感じでしょうか。

 

でね。こうなるとね。
勉強の効率はやっぱり落ちるんです笑

そりゃそうですよね。

以前は、余暇も遊ぶ時間もなく、
ひたすらに機関車のように勉強なりテストなりに
立ち向かっていた。

それが今は、
自分の中の、わがままな子供の感情と折り合いを
つけないといけないんです。

でもね。
この子供っぽい自分の心の声をちゃんと聴くってことこそ、
自分を大切にするってことだと思うんです。

ムリヤリにルールや正論で自分を動かすのではなく、
自分の感情や本当の気持ちに気付いて、
その気持ちに折り合いをつけながら自分を動かしていく。

 

たとえばね。

テストを切り抜けるためには、
やっぱりどうしたって勉強はしないといけない。

じゃあ、どうやって、自分の気持ちも大事にしながら、
勉強しようかってなるとね。

「今回のテストは及第点をとれればいいや。
だから、テスト勉強はほどほどにしてネトフリみちゃおーっと。」
とか。

「この難しいテストでいい点をとったら、かっこよくね?
だから、今回だけはがんばっちゃおーっと。」
とかね。

「勉強しろ!」と頭ごなしに強制するのではなくて、
怠けたい自分、わがままな自分と相談しながら、
テストに対する向き合い方を決めていく。

こんなことが少しずつできるようになってきました。

普通の人からしたら当たり前のことかもしれないですけど、
愛着障害の人にとったらこれが難しいんですよね。

ぼくもまだまだ練習中です笑

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