「ふんふん!」
「へー!」
「そうなんだ!」
「すごいね!」
「さすがだね!」
「天才じゃん!」
あなたが語る、
嬉しかったこと、
楽しかったこと、
悲しかったこと、
悔しかったこと、
ムカついたこと、
しょーもないこと、
その話に、
心からの興味をもって聞いてくれる人が
あなたにはいますか。
友達が真剣に話を聞いてくれるよ!
って人もいますよね。
恋人がそう。
親がそう。
って人もいますよね。
でね。
自分の話をちゃんと聞いてくれる。
一緒になって心を動かしてくれる。
感情を共有してくれる。
ぼくは、
そんな人の存在が
人格形成にとても大事だと思うんです。
なぜか。
そうした人がいるからこそ、
自分の内面、感情、気持ち、に
意味があると思えるからです。
思ったこと。
感じたこと。
それに人が興味をもってくれる。
だからこそ、自分に価値があると思える。
自分に自信がもてる。。。
愛着障害の問題で受けたカウンセリング。
ぼくはそこで初めての体験をしたんです。
それは。
人が自分の内面、感情、気持ち、に
興味をもってくれるということ。
どんな人が好きで嫌いか。
何が好きで嫌いなのか。
何をすると嬉しいのか、悲しいのか。
そういう一つ一つを探ろうとしてくれる。
ぼくの話すたどたどしいエピソードも真剣に聞いてくれて、
一緒になって心を動かしてくれる。
感情を共有してくれる。
ぼくは、自分のことを話す心地よさを
生まれてはじめて経験したんです。
機能不全じゃない家庭だったら、
このカウンセラーさんの役割を親がしてくれるんです。
例えば。
学校から子供が帰ってくる。
親が子供と一緒に晩ごはんを食べる。
すると親がきくんです。
「今日は学校は楽しかった?」
子供は、学校であった面白かったことや、
イヤだったことをあれこれとしゃべる。
それに対して、
親は子供の感情を感じとって、
一緒に喜んでくれたり、悲しんでくれたり、
ときにはアドバイスをくれたり。
そうしてくれると思うんです。
でも、ぼくの家庭は機能不全。
ネグレクトに近い状態。
「学校はどうだった?」
とか、声をかけられた覚えはないし、
自分の話を真剣に聞いてもらった記憶もないんです。
そうなるとね。
やっぱり子供は、
自分の気持ちや感情をちゃんと把握して、
それを伝えるっていう力がつかない。
もっといえば。
自分の気持ちや感情すら認識できない状態に
なっちゃうと思うんですね。
ぼく自身もそう。
カウンセラーさんに、
「あなたはどう思うの?」
「あなたはどう感じたの?」
って言われたときに、
言葉が出てこないんです。
言われて初めて、
あのとき自分はどう感じたんだろう?
って考えこんじゃうんです。
自分の気持ちが分からないと、
いつも心がモヤモヤします。
それに人と親密な関係をつくっていくうえでも
障害になっちゃうんです。
なぜなら、人はお互いの感情を共有して
関係を深めるものなのに、
その自分の感情が分からないからです。
もう一度、考えてみてください。
あなたには、
自分の話を真剣に聞いて、
一緒に感情を共有してくれたり、
アドバイスをしてくれたり
する人がいますか。
自分の気持ちを安心して
打ち明けられる存在がいますか。
そういう人がいるならいいんです。
でも心当たりがない場合。
多少お金がかかっても、
そういう人を真剣に探してみてほしいな
と思うんです。
たとえば、カウンセリングを受けて、
自分の思いを真剣に聞いてもらう。
それは愛情を注いでもらうってことと
同義です。
するとね。
少しずつ、自分を大事にする心が
育っていくんです。
どこか人よりも下に自分をおいていたけど、
それがなくなる。
周りの人と同じように、
ほしいものはほしいと言っていいし、
イヤなことはイヤといっていいんだ。
そんなふうに思えてくる。
こんなふうに自分が育ってくると、
なんだかモヤモヤとしていた自分の心がちょっとずつ晴れます。
生きることの苦しさも少しずつ和らいでいくはずです。
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