亜人(桜井画門著)

もうね。

実写化もされている有名な作品なんで、
知ってる人も多いと思うんですけど、
めっちゃおもしろかったです。

ぼくは最初、アニメでみました。

ネトフリのおすすめのところに執拗にでてくるので、
まあ、みてみるか、って気持ちになって。

それで少し見始めたら、おもろい、おもろい。

アニメだと、キャラの動きがカクカクしてるのと、
キャラデザインがのっぺりしていて、すごくクセがある。

だから受け付けない人もいそうだけど、
ぼくは大丈夫でした。笑

年末年始にぶっとおしで観て、
アニメの終わり方がなんか中途半端だったもんで続きが気になり、

近くのゲオでコミックレンタルをしていたので、
そこで大量レンタル、
読み終わったという次第です。

いやはや、何度もいっちゃうけど、
おもろいのなんのですよ。
本当に。

 

マンガが原作ですけど、
アニメとマンガでは、ストーリーが違うんですね。

両方みたけど、どっちもよかった。大満足。

 

アニメでもマンガでも、
敵の大ボスは佐藤さん。

日本に100人もいないであろう、亜人です。
死にません。

銃で撃たれようが、何をされようが、
生き返ることができるんです。

それが強いのなんの。

肉体的に強い、ってだけじゃなくて、
やがては亜人によるチームを結成。

亜人による日本の統治を目指して、
重要人物、重要施設を次々と破壊していきます。

そして、日本だけじゃなく、アメリカまでも巻き込んだ
壮大な大事件に、、、ってな話です。

対するは、主人公の永井君。
こちらも亜人です。

永井君率いる日本国vs佐藤さん率いる反乱軍。

「え、これ、どうやって倒すんだろう。無理やろ、さすがに。」
「あ、あぁ、、、死んじゃう。やられちゃうよ。もうダメだぁぁ。」
「あ、また仲間がやられた。うぅぅ。」
「げ、また大事な施設がぶっ壊された。ヤバ。」
「ええええええ!そんなのアリなの?」

ってな感じで、
ずっとハラハラドキドキしっぱなしでした。

なんにせよ強いんですよ、佐藤さん。

倒したと思っても、復活してくる。

ちなみに佐藤さんは死なないので、
ここで佐藤さんを「倒す」とは、
封印することを意味しています。

死なせるのではなく、永久的に麻酔で眠らせる、というようなね。

でね。

これで倒せると思っても、
ヒラリヒラリ回避されてしまう。

「これ、もう無理なんじゃね?」
読みながら、そう思っちゃいます。

ゴジラに立ち向かう人類、
メルエムに立ち向かうゴン、かのごとく、

「いや、もう倒すの無理やろ。」っていう絶望感。

読んでみてください、感じますよ、ええ。

 

でね。

その佐藤さんを倒すためにね、
主人公たちが、
ああでもない、こうでもない、と
いろんな策を弄するわけです。

そのアイディアが、
革新的というか、斬新というか、
読者の考えることの何歩も先をいく感じなんです。

佐藤さんの手だけを、電柱のポールの穴に放り込む、とか、
度肝を抜かれましたよね。笑

「うおーーーーーーー!そんな方法があったか!」
「それならいけるよ!」
「みんな、がんばれえええええええ!」

心の中で叫びましたよね。

なんせ、佐藤さんを野放しにしておくと、
日本が破滅してしまいますから。

それくらい、強いんです、佐藤さん。

最後は、あっけないように見えて、
きちんと伏線回収のかたちをとっていて、

「うおーーーーー、こうくるかああああ」

って唸りましたね。

と同時に、佐藤さんを沈静化することができて、
ほっと胸をなでおろしました。

ああ、よかった、と。
ありがとう、永井君。。。

 

でね。

マンガ最終巻のあとがきのところに
著者である桜井画門さんが書いていたんです。

このマンガは見切り発車で始まったんです、と。

だから、伏線をいかに回収するか、とか、
話の展開は、マンガを書き進めながら考えていたんです、と。

・・・

いや、すごすぎるだろ、、、と思いましたよね。

設定もストーリーの展開もすごい緻密な感じがしたから、
てっきり最初から、内容があらかた決まっているもんだと
思ってたんですよ。

でもそれが違った。

ええ、見切り発車だったの?
それであんなストーリーが思いついちゃうの?

あいた口がふさがらないのはまさにこのことかって、感じです。

桜井さんが天才ゆえなのか、それとも執念がアイディアを湧かせるのか、

ともあれ、ぼくは、マンガを読み終えた余韻に浸る間もなく、
あとがきの桜井さんのかのコメントに驚愕しました。

す、すげえよぉ。。。

 

で、ここでね。

とくに印象に残ったシーンを一つあげておきたい。

主人公はね、マンガの主人公としては
とても珍しいタイプであるように思うんです。

頭のいい高校生。

妹の病気をきっかけにして、
医学部を目指している。

情に厚い青年かと思いきや、そうでもない。

感情より論理。

合理性、効率性を重視。

今は医学部に入学するために、
徹底してムダな時間を排除して勉強。

通学路も歩きながら勉強。

付き合う友人も選ぶ。
自分に益のない人間とは付き合わない。

なもんで、人からは冷たい印象をもたれる。
友達も少ない。

妹からさえ、
お兄ちゃんは冷たいと批難され、拒絶される。

この青年が、佐藤さんとのバトルをとおして
覚醒していくさまがこのマンガのみどころなのですが、
それはおいておいて、、、、

 

ぼくは、主人公と自分を重ねてしまうんです。

昔の自分も同じようでした。

高校時代、友達がいなく、ひとりぼっちでした。

(永井君は、自分の意思で友達を作ろうとしなかった。
ぼくの場合は、友達が欲しかったけど、仲良くなる方法が分からなかった、
っていう違いはありますが。笑)

コミュニケーション能力のない自分は、
大学受験でいい大学に入るしかない、
と思って、死に者狂いで勉強してた。

それこそ、徹底して、ムダを排除してました。
目標のために、わきめもふらず、猛然と。

空いた時間はすべて勉強。

友達と遊ぶのもムダ。
休む時間もムダ。

周りからは、
人に興味がない人、冷たい人、と思われてたでしょうね。

このマンガの主人公みたいに。

 

でね。兄のことを冷たいと批難する妹に対して、
医師であるお母さんがいうんです。

兄を冷たい、と責めるのは違うと。

お母さんはこういいます。

死にゆく人を前にしたとき、
本当にその人の助けになれるのは、

死んでいく人の気持ちに寄り添い、
慰めてあげれる人ではないと。

今、この人に何が必要なのか。
周りの人にどんな指示をあたえるべきなのか。
自分は今、何をすべきなのか。

そういうことを感情を抜きにして、
徹底して論理的に理詰めで考えられる人なのだと。

そういう人こそ、
苦しんでいる人、ギリギリで生きている人を
助けてあげれることがあるんだと。

だから。

兄の徹底して合理的なところ、
いつも冷静で、理性的なところを、
冷たいと批難するのは間違っていると。

 

ぼくは、このお母さんの言葉に
救われるような気持ちになったんです。

論理的、理性的であることって、
責められがちじゃないですか。

人間味がない、とか、
ロボットみたい、とか、
つまらない人、とか、

そういうレッテルを張られがちなんですよね、経験上。

でも、そうであるからこそ、
人の役に立てることもある。
人を救えることがある。

今、ぼくが医師を目指して勉強しているからこそ、
より胸に響くものがありました。

感情ももちろん大事。

でも、自分のロジカルな部分も、
自分を形成する大事な要素として
愛してあげていいんだ、と思えたんですよね。

ナイス、お母さん。

ぼく、がんばります。

 

なんにせよ、とても面白いマンガで、
終始ハラハラしっぱなしなので、

読んでない方はぜひ読んでみてほしいです。

ぜひとも!

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