極東学園天国。
わたしが大好きな、日本橋ヨヲコさんのマンガです。
そのなかの一人の登場人物に
武藤利一っていう青年がいます。
確か、祖父が天才的な日本画家。
かといって、芸術一家に育ったというわけではなく。
父親はサラリーマンで、
酒を飲むと、母に暴力をふるう。
そんな父が嫌い。
いわゆる機能不全家族に育ち、
いわゆる不良に育つ。
不良といえば暴力。
アートとは無縁なイメージがあるけど、
祖父の血ゆえか、利一くんは絵を描く。
それもいい絵を。
ただし、無自覚に描いている。
なんとなく描いている。
誰に見せるわけでもなく、いい絵を。
でね。
その利一くんがなぜ描くのか。
描こう、って思うトリガーは何なのか、っていうとね。
それが、タイトルの言葉なんです。
ああ、今日も理解してもらえねえな、
って思うたび、俺は描くんだ、っていうんですね。
この言葉ね。
マンガを読んだときよりも、
今、わたしがブログを書き始めたあとに、
どんどん自分に響くようになりましてね。
このブログを芸術、とよびたいわけじゃない。
ただ、利一くんにとっての自己表現の手段が絵であるなら、
ぼくにとってはそれがブログで、
両方とも自己表現の手段として考えたときにね。
ぼくは、確かに、ブログの記事を書こうとするときにね。
これを記事にしよう、って思うのは、
身近にいる人に対面で話しても、
あまり理解してもらえないだろうな、って思うときなんですよね。
共感できる人が限られる、、、
それはどんな内容かっていうと、
愛着障害の苦しみだったり、
ほんのささいな感情の動きだったり、
自分だから刺さったんだろうなっていう言葉だったりね。
これを対面で熱く語っても、
相手を困惑させるだけだろうな、
って思うときにね。
ぼくは、それを記事にすることがけっこうある気がしてるんです。
届く人にだけ届いてくれたらいいと思ってね。
でね。
アートって、そういうものなんでしょうかね?
人に理解されにくいことを、言葉にしづらいことを
作品で表現する、
そういうものなんでしょうか。
そもそも、ぼくは、アートが存在している理由ってのが
よくわかってないんです。
絵を描く。
文章を書く。
音楽を創る。
映画を創る。
その他、もろもろ。
それこそ、人類が誕生したときから、
こういうアート活動って行われてきたわけなんですけど、
なんで芸術というものが生まれ、
続いているんでしょうね。
創作することが楽しいからでしょうか。
自分の作ったもので人に影響を与えたいからでしょうか。
自分が発見した美しいもの、驚きを人と共有したいからでしょうか。
利一くんや、自分の場合でいうと、
人に理解されにくいことを作品に押し込め、
内にこもるモヤモヤ、鬱々としたものを絵なり文章なりで発散している。
アート作品を作る人の動機も人それぞれなんでしょうかね。
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