祈りとはいかような環境で行われるべきものか

閑話休題。

人の家の子供の話ほどつまらないものはない。

どうも、ヤマグチです。

これ、わたしが独身だからなんでしょうか。

あなたの周りにもいませんか?

自分のこどもの写真とか、動画を見せてくる人。

あれ、本当にやめてほしい。

甥っ子、姪っ子ならまだしも、

他人の家の子供になんて、
これっぽっちも興味がもてねえんです。

しかも、それ見せられたら、
リアクションとらないといけないじゃないですか。

わたしもしますよ。

まがりなりにも、人間社会に生き、
一応、大人といわれる年齢になっちゃってるんでね。

「わー、かわいいー!!」
「わー、もうこんなに大きくなったんですねー!!」

とかね。

でも、内心はね、
早く、この話題が終わればいいと思ってる。

ごめんなさい。

 

とまあ、グチはさておき。

本題です。

あの、祈る、っていったとき、
みなさん、どんな状況を想像しますか?

わたしはですよ。

なんか、静かな場所でこう、、
厳かに行うみたいなイメージがあるんですよ。

教会とか、
お寺とか、
神社とか、
はたまた家の中であっても、
しんとしたところでね。

こう、、、祈る。

自分の願いとか、
なりたい姿とか、
解決したい問題とか、
そういうのを念じる。

祈る内容が、
切実で崇高であるほど、
静かな場所が似合う。

なんせ、祈るっていう行為は、
自分と向き合うことですからね。

そのためには集中する必要がある。

やっぱり、静かなところがいい気がするのです。

 

と前フリをしたところで。

わたし、1泊2日で広島旅行してきたんですね。

気ままな独身一人旅。
昼から酒を飲み、もちろん広島焼きを食し。

それで厳島神社を観に宮島へいきまして。

知らなかったんですけど、
宮島ってもう、島全体が神社・お寺みたいになってるんです。

どういうことかっていうと、

島のいたるところに神社・お寺があって、
道中にもお地蔵さんとかいっぱい並んでるんですよ。

でね。

それこそ、観光客がね、外国人の人も日本人もいるんですけど、
いろんなところで手を合わせている姿をみれるわけなんです。

まさに、祈っているんです。

 

とまあ、そこでね。

わたしが、あるお寺へ向かう途中、
若者が仏像に向かって手をあわせていた。

みたのは後姿ですよ。

全身、黒っぽい服を着ていて、長髪。

スラっとしてて、バンドマンのようないでたち。

でね。

頭をみるとね。

ヘッドホンしてる。

もう1回いいますよ。

ヘッドホンしてるんです。

えーーーーーーー!!!

なんかびっくりしてしまって。わたし。

ヘッドホンって、イヤホンじゃないですよ。

あの耳全体を覆うやつです。

耳を覆う部分が頭のところでつながってる、
あのでっけーやつです。

音楽がよほど好きな人が、街中でつけてるやつ。
たまに、首から、これみよがしにぶらさげてるやつ。

あれです。

え、もしかして、音楽を聴きながら祈ってるの?

え、ロックとかレゲエを聴きながら祈ってるの?

えええ??

ってね。

 

なんせ、祈るって、静かな場所で厳粛に行う、
崇高なイメージがあったんで。

ほら、祈るって、
自分との対話だから。

音楽とか耳に入ってきたら、
対話にジャマなんじゃないかなって。

自分との。

ねえ、いける?

それでいけるの?

 

とまあ、

こんな心配しているのは杞憂かもしれません。

実は、ヘッドホンを遮音に使ってた可能性だって
あるわけで。

なんにせよ、お地蔵様の前で真剣に祈りを捧げている方の
頭にヘッドホンが装着されていたというのが、

どこかコミカルでおもしろかったのです。

(馬鹿にしているわけではない。

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