パートナーの悩みを聞きたくない。

ネガティブなものに触れたくない。

殺人事件のニュースもみたくないし、
戦争のニュースもみたくない。

自分の周囲で怒鳴り声を聞きたくないし、
喧嘩なんて絶対にやめてほしい。

それはそれでいいと思うんだけど、

ただ、昨日ね。

今のぼくのパートナーがね。

何やら、仕事で深刻な悩みを抱えているらしく、
ひどく落ち込んでいた。

顔もどんよりと曇っているし、
いつもの元気が全然ない。

何かあった?と聞いても、
曖昧な返事しか返ってこない。

話してくれない。

それはそれでいいとして。

 

この状況で、ぼくの本音を話すとね。

その彼女が抱えている深刻な悩みを、
聞きたいと思わないんです。

これ、非情なんでしょうか。

彼女に対する十分な愛情があれば、
聞いてあげたい、
その苦しみを取り除いてあげたい、
と思うんでしょうか。

でも、ぼくはそう思えないんです。

人のネガティブな話を聞くと、
こっちまで苦しくなる。

辛くなる。

だから、できることなら聞きたくない。

 

自分が逆の立場、
つまり、自分が深刻な悩みを抱えていたとき、
どうやって生きてきたかって振り返ってみたんです。

ぼくも、愛着障害に生まれて、
ずっと人に言えない悩みを抱えてきた。

自信がもてない。
劣等感が苦しい。
この先、何もいいことがあると思えない。
何をしても楽しくない。

この苦しみを、周囲の健康な人に話したところで、
理解してもらえるとは思えなかったし、

何より、悩みを打ち明けられた方も、
戸惑うだけと思ったから、

周囲の人には誰にも話せなかった。

その代わりに、ぼくはカウンセラーさんを頼った。

でね。

ぼくはそのカウンセラーさんから、
治療者と患者っていう関係を超えて
大きな愛情をもらい、そのおかげで回復できたと思っているんだけど、

それはここではおいといて、
そこには金銭のやりとりが発生しているわけです。

何がいいたいかっていうと、

悩みが深刻であればあるほど、

それはプロのカウンセラーさんとかに、
お金を払った対価として聞いてもらい、
その苦しみを一緒に背負ってもらうべきで。

友人やパートナーに話すのもいいけど、
その悩みが大きなものであるほど、
無償で、相手に負担を強いることになる。

 

ぼくは、今のパートナーから、
深刻な悩みを話されるとすると、

割に合わないと思ってしまう。

一方的に、重荷を背負わされてる気分になる。

こちらは、基本的にネガティブなことを話さない。

それは、今の自分が学生の立場で、
とりたてて重大な悩みが発生しにくいっていう
状況もあるかもしれない。

その一方で、彼女からは、
大きなネガティブな感情がぼくに渡されようとしている。

それがフェアじゃないなって思っちゃうんです。

 

こうした悩みも全部、彼女に対する、
ぼくの愛情が足りないせいなのかなあ。

ぼくの度量が小さいだけなのかもなあ。

あえて、自己弁護するなら、

ぼくはまだ愛着障害を回復したばかりで、

今は、楽しいこと、ワクワクすることだけをしていたい。

人の苦しみを背負いたくないし、
楽しいことだけを考えていたい。

うん、やっぱり、ぼくの心はまだまだ子供なのかもしれない。

やりたいことを好きなだけやって、
心がもう少し成長したあとでなら、
もっと人の苦しみに寄り添えるようになるのかもしれない。

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