おばあちゃんの思い出

おばあちゃんが亡くなった。

92歳だった。

ぼくは18歳まで一緒の家に住んでいたのだけど、
おばあちゃんは、それはもうすごい働き者で。

いつも動き回り、休むことを知らなかった。

家族のために、ごはんを作ったり。

裁縫をしたり。

小さな家庭菜園に種をうえて、
草むしりをして。

近所の友達に会いにいったり。

もうね、じっとしてる時間がぜんぜんない。

 

で、この中でも、

ぼくが特に印象に残っているのは、

おばあちゃんがごはんを作っているところなんです。

朝ごはんを食べたと思うと、もう昼ごはんを気にしてた。

何を食べたい?なんて、周りの家族に聞いたりしながら準備を始めて。

昼ごはんを食べれば、晩ごはんの。

晩ごはんを食べれば、翌日の朝ごはんの準備をしてる。

夜、僕がほげーっとテレビを見ている横で、
大きなボウルに水をためて、ごぼうの土を落として、そいでたのを覚えてる。

ポテトサラダを作るときには、大量のじゃがいもをふかして、
つぶしている。

うどんを作るとなれば、粉をこねて、足で踏んで。

ときにはテレビで演歌をかけながら、よくそういうのをしていたっけ。

演歌の花道とかよく見ていたなぁ。

 

ばあちゃんが作るごはんはいつも大量。

天ぷらもカツもうどんも、いつだって大皿にてんこもりに盛られて、
家族みんながその大皿をつまんだ。本数なんか気にせず好きなだけ食べてよかった。

「何か食べたいものはないかい。」
といつも心配してくれて、

食べたいものをリクエストすれば、すぐにそれを作ってくれた。

ぼくが好きだったのは、ソースカツ丼。エビフライ。天ぷら。焼きおにぎり、ならぬ揚げおにぎり(おにぎりを揚げたたの)。
よく考えたら、全部、揚げ物だ。笑

当時は、美味しい食事にありつける有難みを感じることもなく、
美味しいなあ、なんて噛みしめることもなく、
なんの気なしに食べてた。

でも、今、その味を思い返してみれば、
やっぱりすごく美味しかった。

いつも揚げたて、作り立てを食べさせてくれたけど、
それも、美味しいものを食べさせたいっていう、
おばあちゃんの愛情だと思う。

もう、あのごはんは食べれない。
そう思うと、今更ながらに悲しいし、寂しい。

もっと噛みしめて食べればよかったと思うけど、
それこそ、もう遅い。

出てきたごはんを少ししか食べないと、
「なんだい。そんなにちょっとしか食べないんかい。」
と決まって、そう言った。

それで少し悲しそうな顔をする。

それがなんだか申し訳なくなって、
そのせいでもないけれど、
実家にいたときのぼくは、今よりも10キロ以上太っていた。

それだけ、美味しいごはんを作ってくれたってのもあるし、
ごはんに揚げ物が出てくる率が高めではあったと思う。笑

 

そんなおばあちゃんなんだけど、

病気になって

手足の自由が利かなくなる。

足がうまく動かせない。
ヨタヨタして、まっすぐ立てず、
歩くのに、杖とか乳母車が必要になった。

手も震えてしまって、包丁もちゃんともてない。

震える手で、包丁をにぎるから、
切った野菜はでこぼこになるし、

間違えて自分の指を切っちゃう。

小麦粉は、こぼしてしまうし、
お皿だって落としてしまう。割ってしまう。

それでも家族のためにごはんを作ろうとするおばあちゃん。

家族のために、ごはんを作ってあげたい。

でも、それができない。

それが、みていてとてもかわいそうだった。

今まで、自分が当たり前にできたことが、
できなくなる。

あれだけ動き回っていたおばあちゃんだから、
ごはんも作りたいだろうし、
友達にも自分の足で会いに行きたいだろうし、
裁縫だってしたいはず。

でも、それができない。

仮に今、自分の指が上手く動かせなくなったら。

想像しただけで、なんだかぞっとする。
絶望的な気持ちになる。

おばあちゃんの苦しさや痛みを思うと、
やっぱり、胸が苦しくなる。

 

そんなおばあちゃんは、
関西から、関東の実家の近くにぼくが帰ってくることをずっと望んでた。

でも、ぼくは、それができなかった。
というより、しなかった。

実家の近くより、関西で働くことを自分のキャリアのために選んだわけだけど、
それでも、やっぱり、おばあちゃんの願いに応えてあげられないことにはずっと申し訳ない気持ちを感じてた。

そして、生きている間に、とうとうそれを叶えてあげられなかった。

ばあちゃんのために生きているわけではない、
ぼくにはぼくの人生がある。

冷たい言い方をすれば、そうなるし、
ぼくは自分の選択を正しいとも思ってる。

でも、おばあちゃんには、一言、
最後まで寂しい思いをさせちゃってごめんね、とは言いたい。

 

ばあちゃんはいつも、
「ユウちゃんなら、大丈夫。」
そういって励ましてくれた。

なんの根拠もない。

でも、その言葉が、ぼくの自信になっている。

こんな身近で自分を見てくれていた人が、
そう言ってくれる。

なら大丈夫だ。

今でもそのばあちゃんの言葉に、
背中を押されることがある。

それは、自己肯定感が乱降下する自分にとって、
ばあちゃんからぼくへの大きな、
とてつもなく大きなギフトだと思ってる。

 

ばあちゃんのこと。
ばあちゃんからもらったたくさんの愛情。
それを絶対に忘れずに生きていきたいってそう思う。

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