不安だったんです。
全部、ちゃんと見ていられるんだろうかと。
だって3時間あるんですよ。
しかも、最寄の映画館では、15時~18時の時間帯でしか
放映してない。
こんなの、一番眠くなる時間じゃないですか。
っていうか、もうね、映画館の建屋に入った時点で眠かったから。
ああ、眠いなあー、やばいなあ、と思いましてね。
こりゃ映画が始まった途端に寝ちまうぞと。
そんなの入場料がもったいなくてしょうがない。
わたしは貧乏性なんで
そんなことあっちゃならない。
それでね、入った映画館をいったん出ましてね。
近くのドラッグストアでブラックコーヒーを購入。
映画館に持ち込み、
席につくやいなや、
それを口にひとふくみ。
幸いなことにぼくはコーヒーがてきめんに効く身体でね。
もうカフェインのおかげで眠くならんだろうってんで、
映画を見始める。
結論。
大丈夫でした!
3時間、ちゃんと見れましたよ。寝ずに。
感想ですけど、
まあ、面白かったですかね。
3時間あったけど、長いな、とは思わなかった。
それに終始、物語に引き込まれる感じがあった。
音響のすごさは感じたな。
オッペンハイマーが、戦後、共産主義・ソ連への関与を疑われて
責められるシーンとか、
ポツダム会談の直前に核実験をするときのカウントダウンとか、
そういう要所要所で、音響(音楽というより音響)がのってくるのだけど、
切迫感、緊張感がめちゃくちゃよく表現されていて、
みている自分も、胸がギュっと締め付けられるような感じになった。
それに爆弾が落ちて、ピカっと光り、爆発音が届くまでの無音の時間。
あの静寂の時間はたまらんかった。
息をのんだ。
緩急。動と静。束の間の真空。
音の力ってすげーと思った。
ただ、手放しで面白かった、っていえないのは、
終始、暗いところがあんまり自分の好みには合わなかったかな。
まあ、テーマが原子爆弾だからね。
その父といわれるオッペンハイマーをとりあげている以上、
明るく、コミカルにしても、それはそれで
原子爆弾を軽視しているように見えてしまうし、
こういうシリアスなテイストになるのはしょうがないんだけれどね。
自分としては、映画全体をとおして、
少しでも、くすり、とはいかないまでも、ニヤっとするくらいの
ユーモアを織り込んでもよいのかな、という気がした。
だめか。
うん、やっぱりだめなのかもしれない。
どうしても茶化しているように見えちゃうし、
ああいうダークトーンな調子にならざるを得ないのかもしれない。
特に、印象的だったシーンをあげるとすればね。
オッペンハイマーは、
原子爆弾の製造の責任者として、ついにそれを完成させる。
完成するやいなや、それはすぐに開発者の手を離れ、
大統領の指揮下におかれる。
そして遂に、爆弾が広島と長崎に落とされたことを知ったとき、
彼は、怖くなる。
良心の呵責に苛まれるようになる。
とんでもないものを作ってしまった。
世界を滅ぼしうるものを自分が生み出してしまった。
怖くて、恐ろしくなってね。
原爆の被害を受けた人たちの映像なんて、
見れないんだ。
目をそむけちゃう。
自分で作っておきながら。
それで幻覚をみるようになる。
皮がびらびらとはがれ、
真っ黒の灰になった
被害者たちの。
それでね。
戦後ね、大統領に会う機会があるんだ。
原子爆弾の製造に成功した功績を称えられてね。
それでオッペンハイマーはいう。
「わたしは自分の手が血塗られてしまったように感じる。」
と。
大統領は、会談が終わったあと、
彼がいなくなったところで身内にいうんです。
「わたしはもう、あんな泣き虫とは二度と会わん。」と。
オッペンハイマーは、これ以上の核開発はやめるべきだと思っている。
もうあんなやばいもんを作っちゃいけないと。
一方で、大統領は、水素爆弾、その次へと、
対抗する国と競争するために、さらに兵器開発を進めようと思ってる。
なんなら、オッペンハイマーにそれを主導させようくらいに思っていたはずで、
ここには、その対立の構図があるんですけど。
ぼくは、なんかここに、科学者の悲哀をみた気がした。
政治家の大ボスたる大統領にとっては、
オッペンハイマーがアメリカにとっていくらすごい爆弾を、、、
世界を一変させてしまうような爆弾を製造したとて、
しょせん、彼なんかただの駒でしかないんだと。
科学者は、黙ってこっちのいうように
爆弾を作ってりゃいいと思ってる。
原子爆弾の製造に成功したなら、
さっさと、もっと強力な爆弾作りにとりかかれと思ってる。
もっというと、科学者を下に見てる。
それがとてもかわいそうだった。
祖国のためにと命をかけて身を捧げてきたのに、
軽々と政治家に使い捨てられるオッペンハイマーが。
やっぱり、ぼくは、理系なもので、
政治家よりもずっと科学者に対して親近感をかんじるし、
リスペクトがあるんです。
特に、オッペンハイマーのように、理論物理学、
量子力学なんていう、超難解な学問を
開拓してきた人間には、
その能力にものすごい敬意を感じる。
それだけ、いろいろなことが理解し、分かり、計算ができたら、
そりゃ学問も楽しいだろうなあ、なんて羨ましくも思ってしまう。
ともあれ、
自然現象を数式に置き換え、
見えないものを見えるようにし、
この世界になかったものを生み出していく。
それができる科学者は、
政治家なんかよりずっとずっとすごいと、ぼくは思っているのだけど、
その科学者が、
言うこと聞かないならもう引っ込んどけ、と言わんばかりに
邪険に扱われてる。
それがとても悲しくて可哀そうだった。
とここまで、
オッペンハイマーにかなり感情移入したことを書いてますけど、
彼さえいなければ、広島・長崎に爆弾は落ちなかったかもしれない。
彼がのちに、良心の呵責に苛まれてくれてよかったと思う。
日本人としては。
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