サッカークラブでの挫折を経験した私ですが、
クラス内においては、まずまずの人気がありました。
小学校においては、運動のできる子が人気者になるのが世の常。
入学して間もない頃の私は、勉強だけでなく、運動もまた得意でした。
クラス内の序列(嫌な言葉ですが、状況説明のためにあえて使います。)では、
一番上に地元の野球クラブで活躍している元気で明るい子たちがいて、
私はその次くらいにつけていた印象です。
周りからの推薦で学級委員に
前記事でも書きましたが、私はシャイで控え目な性格でした。
「俺が俺が!」というように強く主張するようなこともなく、
暴力をふるったりするような攻撃的なところもありません。
先生から言われたこともきちんと守ります。
こうしたことが、周囲に対してどことなく安心感を抱かせたのでしょう。
クラスの学級委員(クラス代表)を決めるときになると、
「ヤマグチでいいんじゃね?」
「賛成!」
というようなごく自然な流れで、私は、学級委員に選出されることになるのでした。
周りからの推薦でクラスの代表になる、という流れは、
小学校1年から中学校3年までの9年間、毎年続くことになります。
学級委員の選出を断らなかった理由
その最も大きな理由に、周囲の期待に応えなくては、との思いがありました。
クラス会で学級委員の選出をするときになると、ほぼ全会一致のようなかたちで、
まるで決まり事のように、私が選ばれました。
私には、そんな周囲からの期待を拒絶するだけの強い意思を持ち合わせて
いませんでした。
いわば、「空気を読み」、皆がそこまでいうなら、、、との受動的な気持ちで
それを引き受けるのでした。
またクラスの代表になると、母親が喜ぶだろうな、という思いもありました。
(父親は子育てに全くの無関心で、父の反応は期待していませんでした。)
母親にとって、息子が学級委員(クラス代表)に選出されることは誇らしいことのはずで、
自分がこれを引き受けることによって、親を喜ばせたいと思ったんです。
自分の意思よりも、周囲の期待に応えることを優先する
この頃からすでに私には、周囲の期待を感じ取り、
それに応えようとするところがありました。
まさに、「いい子」でした。
先生のいうことはきちんと守る。
親にもおねだりしたり、甘えたりしない。
とても聞き分けがよい。
クラスの皆にも優しく接する。
今考えれば、小さい子供としては、
あまりにも出来すぎていて不自然です。
でも、そんな私の不自然さを感じ取る大人は周囲には誰一人としていませんでした。
先生も。親もです。
そして、その行動は多くの場面で、周りからの良い反応を引き出しました。
通知表には毎回、先生からの誉め言葉が書き連ねられ、
母を喜ばせました。
親戚からもいつだって「頭のよい、いい子だね。」と褒められました。
こうして私は、自分が思っていることや感じていること、ではなく、
周囲が自分に何を望んでいるか、の方により注意を向けるように
なっていきます。
そして、周囲の期待を満たすための行動を、
ごく自然に、無意識にとるようになっていきます。
こうした行動パターンは以後、20年以上継続します。
そして、自分の本当の感情や思いを無視したこの行動が、
のちに大変な苦労をうむことになります。
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