論文を量産するには。

これね。

ある種、大人の、賢い人のズルさみたいなものを感じたって話なんです。

 

論文を書こうとするとき、

ここで論文ってのは、科学系論文としましょう。

仮説をたてて、
実験を繰り返して、
結論を導く、
っていう、そういう内容の論文を書くとしますね。

こういうときってね、

まずステップワン。

仮説をたてるんですよね。

AはBであると。

 

で、ネクストステップ。

実験を繰り返して、その仮説の正しさを
証明しようとする。

ここにめちゃくちゃ時間がかかるわけです。

何日も、不眠不休で働いたりもする。

実験道具を用意して、
細胞を育てて、
高い装置を買ったり、
いろいろな手技を駆使したりして、

一生懸命がんばる。

 

でも、そう簡単にはいかない。

実験なんて、失敗の連続。

AはBだという仮説をたてたのに、

実験の結果をみてみると、

C、とか、Dとか、当初、思ったのとは、
てんで違う結果が出てくる。

 

ここでね。

AはBだと思ったのに、おかしい、と思って、
ずーっと実験をし続ける。

これ、ドツボにはまっちゃうんですよね。

このAはBだという仮説にこだわり、
それ以外のデータを「おかしい」と思い始めるとするじゃないですか。

つまり、AがBだということを証明するような実験データをとろうとし続けると、
もうずっと論文を発表できないんです。

仮説が間違ってた場合ですよ。

だからね。

自説にこだわり、それ以外のデータを否定するってのは、
論文を量産するうえでは、悪手なんです。

 

で、発想を変える必要がある。

AはBだと思っただけど、
実はBじゃないらしい。

そうなったら、

AはCだ、
AはDだ、っていうふうに、

実験データにあわせて、仮説をどんどん修正していく。

この柔軟さが大事らしい。

そういうふうに、
データにあわせて論文で主張する内容を変えていく。

当初は、AはBだ、ということを主張しようとした。

そのために実験を始めたけど、
実験結果を受けて、

AはCだ。
AはDだ。

ってふうに主張を変えていく。

そうすれば、当初思ってたのは違うけど、
とにかく論文を出すことができるわけです。

 

ここのところ、
ぼくは、なんだか、賢いなぁ、と思っちゃうんですよね。
大人だなぁ、というかね。

もちろんぼくは、アカデミックな世界にいたことはなくて。

つまり、研究者という立場になったことがない。

自分だったら、という視点で考えてみるとね、

AはBだ、という自説にこだわっちゃうと思うんですよね。

それで、うんうん唸りながら、延々と実験を繰り返しちゃう。

おかしい。

なんで思った結果にならないんだぁ!

と自分が頭を抱える様子が、目に浮かぶ。笑

でも、研究者の世界で、上手くやっている人はそうならない。

自説を、当初の仮説をすっすっと修正していく。

ここのところ、大人だなぁ、と思いませんか?

実験データの有効活用というんですかね。

とにかく、新しく入手したデータを使って、
そのデータから言えること、主張できること、を論文にしていく。
形にしていく。

エレガントでなくともいい。
不格好でいい。
とにかく論文の数を増やしていく。

もちろん、すべての研究者がそうではない。

それに、その姿勢を否定する気もない。

論文の数が自分の価値を決めてしまう研究者にとって、
正しい生存戦略である気はするんです。

自分の仮説が正しかった、ってことはもちろん論文になるし、
一方で、
自分の仮説が間違っていた、ってこともまた新しい事実の発見であって、
論文になるわけですしね。

 

なんか、長くなっちゃったので、もう一回まとめますとね。

もちろん、
AはBだと思って、その実験データを集めて、証明していく。

これができれば、美しいんです。

AとBが一直線につながる。

まっすぐな道。

ムダのない道。

エレガントな道。

 

でも、実際の実験データをみてみると、
Bと思ってたけど、どうやら違うらしい。

AとBの間にひいた直線とは違うところにポツポツと、
実はBでなく、CやDを示唆するようなデータが出てくる。

そうなったら、
AとBの間に直線をひくのを諦めるんです。すぐさま。

それでAとC、AとDをつなぐ放物線を描くんです。

それは当初、想定したのとは違う道。

でも、その曲線を、きれいに描けば、
それが論文になる。

直線にこだわっちゃいけないんです。
柔軟に。

こういう、ある種のずる賢さ、柔軟性、、、

そういうのが、論文を量産していくうえで、
大事みたいなんですよね。

うん、頭ではわかるけどね。

ぼくには、なんだか、小ずるく立ち回っているように
見えちゃうんですよね。笑

まあ、ぼくはまだ幼いですからね、
そこは甘く見ていただくとしまして。。

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