先日ね。
ばあちゃんが亡くなったんです。
でね。
少し不思議に思うことがあって。
ぼくは、ばあちゃんが亡くなった、という連絡があった日から、
お葬式に参列した日、
お盆のお墓参りに行った日。
そのどれも、泣いてないんです。
そういう特別な日でなくとも、
ふだん、ふと思い出して、泣くことがあったか、
というとそれもないんです。
なんだか、そのことが、なんというか、不思議というより、
ばあちゃんに対して、少し申し訳なく感じることがあるんです。
あんなに愛情を注いでもらったのに、どうして涙のひとつも出てこないんだと。
なんでだろう、と。
だって、泣ける映画をみたら、
感動する映画をみたら、
やっぱり、ぼくは泣いているんです。最近でも。
だったら、もっと身近な、それも、幼少期に同じ屋根の下で生活していた
おばあちゃんが亡くなってしまったのなら、
もっと涙が出てきてもいいんじゃないか、と思うんです。
で思うにね。
ばあちゃんは、ある病気にかかってしまって。
身体が動けなくなって、
認知に問題がでてきてから亡くなるまでが結構、長かったんですよね。
たぶん、2~3年くらいはあったかもしれない。
ぼくはもう、実家を離れて一人暮らしをしていたんですけどね。
悲しいことだけど、
その期間で、ぼくの中で心の準備が進んでいったんだと思うんです。
いずれ亡くなってしまうんだろうと。
ここまで書いてきて分かったけど、
つまるところ、亡くなることに対して、心の準備ができていたからこそ、
泣くとか、そういう、大きな感情の動きがなかったのかもしれない。
心の準備、、、か。。。。
確かにそうかも。
でもね。
ときどき思い出したいと思うんですよね。
本当に本当に優しかった、おばあちゃんを。
これはまだ、ばあちゃんがちょっと足が悪くなって、
でも、認知ははっきりしていたころの話で。
ぼくが実家に帰ったときのこと。
ばあちゃんがベッドに座っていたんです。
その横を、ぼくがちょろちょろ動き回っていてね。
ぼくはそんなにペラペラと多弁な方ではないからね。
実家に帰ったとて、家族とワーっとしゃべるわけじゃない。
ばあちゃんは、せっかく帰ってきたのだから、
ぼくと話したいと思ったんでしょうね。
ベッドの横に椅子が置いてあってね、
そこにね、
「ユウちゃん、かけないかい?」
って言ったんですよね。
椅子にかけなよ、って意味なんですけど。
なんか、その言葉がとても、妙に心に残って。
喋らないかい?でもない。
話さないかい?でもない。
かけないかい?って。
とても控え目に、だけど、
あなたと話したいよ。
っていう気持ちが伝わってきてね。
嬉しいような、こそばゆいような気持ちになったんですよね。
実家に帰るたびに、何が食べたいかを聞いてくれて、
いつもすごいごちそうを作って待ってくれていたんですよ。
焼肉、うなぎ、うどん、てんぷら、なんでも作ってくれた。
本当にね、親以上にね、愛情を注いでくれたんです。
優しかったなあ。
また、お墓詣りいくね。
やっと泣けた。
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