昔、中国には科挙という試験があった。
中国の全土から、村一番の神童みたいな人が集められ、
試験を受ける。
中国全土ですからね。
日本と比してまず人口のケタが違うんです。
試験の内容は多岐にわたっていて、
詩を作る、みたいな感性を問うような問題もあったようで。
上位合格者が官僚に採用されるのだけど、
なんでも、1位、2位、3位、っていうように、
通過順位ごとに別の肩書きを与えられ、
キャリアパスも明確に異なっていた。
怖くないですか。
受験の通過順位で、もう一生が決まっちゃうんですよ。
とまあ、こんな試験があった。
ぼくは、このことを、「蒼穹の昴」(浅田次郎著)で知ったんです。
高校生のときに読んで、長いけど、めちゃくちゃおもしろかったです。
ぜひ、オススメ。
当時、中国で、貧しかったり、普通の生まれだったりする人が、
立身出世の道を歩もうと思ったら、方法は2つしかなくて。
で、その1つめ。去勢して宦官になること。
もはや、人として扱われない。
人ならざるものとされる。
ただし、宮廷に仕えることができる。
砂埃にまみれた、廃屋みたいなところで一生を過ごさなくてよくなる。
自分なら、できないな。。。
ってみんなそう思うんでしょうけど。
やむにやまれぬ事情があったから、って人もたくさんいるんだろうな。
貧困に苦しむ家族を助けたい、とか、そういう理由がね。
で、この本には、去勢するシーンも描かれているんですけどね。
ぼくは、この本を高校生のときに読んだのだけど、
今でもその描写を映像のように思い出すことができる。
たしか、切り落としてできた孔に棒のようなものを突っ込んでいたはずだ。
そのあたり、詳細を知りたい方はぜひ一読を。
で、もう1つは、冒頭に述べた、科挙に合格することだったんです。
まあ、規模は違いますけど、日本でいう、
国家公務員採用試験みたいなもんですよね。
これにパスすれば、官僚として、出世することができた。
もちろん、村で貧困にあえぐ少年だったとしても、
官僚として出世して、故郷に錦を飾ることだってできたわけですよ。
この試験、受験する際の年齢制限はないらしく、
人生で何度も受けることができて、
めっちゃ難しいからこそ、おいそれと合格できない。
中には、70歳で合格した人もいれば、
やっぱりその途中で、合格を諦める人もたくさん。
とにかく、めっちゃ難しいってことですよね。
何度も挑戦するのもよいけれど、
それこそ、どこかで諦めないと、
勉強だけして人生を終えてしまうこともありうる。
人生を棒に振ることになる。
年齢制限を設けることも、優しさなのかもしれない、
とも思っちゃうようね。
今の日本の法科大学院制度みたいなね。
とまあ、まとめると、昔の中国では、ふつうの一般人が身を立てるのに、
宦官になる方法と、科挙に合格する方法の2つがありました、と。
で、前フリはさておき。
宦官のことは忘れてください。笑
ぼくは科挙の話をしたいのです。
この試験はね、厳正さを期すためにね、
一人一人、個室の独房のような部屋で受験したそうなんです。
ちょっと想像してください。
窓も何もなく、鉄扉だけがある、石壁の空間を。
その扉はね、監視員が中をのぞけるように、
A4ノートくらいの格子窓がついているんです。
部屋の広さは3畳間くらいですかね。
そこに、ちゃぶ台みたいな勉強机が置いてます。
そこで、問題と向き合う。
カンニングなんて当然できない。
部屋に入るときに、持ち物はチェックされるし、
部屋の出入り口は監視員が見張っている。
でね、ある科挙の受験生の話です。
もうね、どうしても、ある問題を解くことができなかった。
そして、絶望していたんです。
この問題を解けなければ、自分は合格することができない。
もう何年も何年も挑戦を重ねてきて、
今年こそは、っていう思いで、死ぬような思いで勉強してきた。
でも、今年もダメかもしれない。
考えても、考えても、答えへの道筋ができない。出てこない。
もうダメだ。
ふと、顔をあげると、
初老のおじさんが立っているんです。
え?、と思う。
そのおじさんがね。
自分が困っている問題の答えを教えてくれるんですよ。
また、え?と思う。
こんなの、カンニングだ。
そもそも、こいつは誰だ?
しかし、、、、
この、今、教えてもらった答えをこの答案用紙に書きつければ、
ぼくは合格できるかもしれない。
いや、絶対にダメだ。そんなこと。
でも、、、、
葛藤につぐ葛藤の末、
ついに、おじさんの答えを無我夢中で書く。
もう、どうにでもなれ。
書く。書く。書く。
ふとまた顔を上げると、
おじさんはいなくなってるんです。
なんだったんだろう。
外の監視員は何も言ってこないし。
そして、答案は回収され、
やがて、もう何年も挑戦し、
夢にまでみた合格通知が届く。
でも、良心の呵責に耐えられくなっちゃうんです。
それで、ついに、告白をするんです。
わたしは、カンニングをしてしまったと。
とんでもないことをしてしまった。
正々堂々と受験をして合格した人もいるなかで、
自分は卑怯な手を使った。
そのことが申し訳なくて、申し訳なくて、
泣きながら謝罪するんです。
ただね。
当日の、監視員がいうことには、
あなたの部屋に入った人などいないと。
そんなことは100%ありえないと。
つまりどういうことかというね。
その、独房の部屋に表れたおじさんは、
幻覚だったんです。
受験生は、あまりのストレス、プレッシャー、絶望、
そういったものがないまぜになって幻覚をみた。
そして、その幻覚が極限状態のなかで、
問題の解答を教えてくれた。
教えてくれた、という言い方もおかしいのかもしれない。
結局は、自分の脳の中のできごとだから。
つまりは、自身の力で答えを導きだしたことになる。
ねえ。
壮絶じゃありませんか?
ぼくは、試験中に、というか、
人生で一度も幻覚などみたことがないんでね。
もう、震えてしまいますよね。
あまりの壮絶さに。
人間、極限まで追い込まると、
火事場の馬鹿力、というか、自分でもあずかりしらぬパワーが
発揮されるもんなんでしょうか。
ぼくはそこまで、追い込まれる状況に陥りたくないですけどね。笑
でだ。
これまた別の受験生の話。
ある試験は、その独房で、何日間も閉じこもって
答案を作る必要があった。
凄まじい集中力でもって、
脳をフル回転させ続けた結果、
試験が終わり、部屋から出てきたとき、
髪の毛は白髪、
若者が老人のように老けこんでいた。
え、人間って、エネルギーを使い果たすと、
老けこむの?
って、思ったんですよ。
高校生で、この本を読んだときにね。
でだ。
ぼくは今、医学部に再入学しているんですけど、
この受験のために、
社会人で仕事をしながら、
夜遅くまで受験勉強をしていたことがあるんです。
こういった期間が1年半くらいあった。
合格が決まったとき、それこそ、もうエネルギーを使い果たしたような感覚になってね。
ああ、もうしばらく勉強しなくていいんだ、と思って、
ふと、鏡で自分の顔をみると、
ずいぶん老け込んだ気がしたんです。
あれ、こんなにほうれい線が深く刻まれていたっけ?と。
あれ、こんなにシミがあったっけ?と。
そう感じたときにね。
ああ、これか、と思ったんです。
あの科挙の受験生と一緒だと。
ぼくは、受験の勉強のために、エネルギーを使い果たしたんだ、と。
そう思うと、なんだか、そのほうれい線もシミも少し誇らしくなってね。
頑張った勲章のように見えてきてね。
でね、大学合格後に、当時、付き合っていた彼女にその話を
したんですよ。
ほうれい線もシミもぼくの勲章なんだよ、と。
そしたらね、
彼女がいったんですよ。
それはただの老化やろ。
fin
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