「素晴らしき世界」(西川美和監督)より。素晴らしい映画だった、でも、ちょっと考えてしまった。

amazon primeで観たんです。
「素晴らしき世界」。

とてもよかったです。
おもしろかった。
スタートからラストまで、
ぼくとしては珍しく、興味が途切れることなく、
次の展開が気になり、気になり、
最後まで夢中で観てしまった。

主役が役所広司ということだけ分かっていて、
その他のキャストについては何も知らぬまま見始めたのだけど、
大ファンである長澤まさみも出演しているというサプライズ。
白のノースリーブのワンピースがそれはそれは美しかった。
登場するだけで、画面が華やぐこと。
もうずっと観ていたい。

とまあ、それはさておき。
ちょっとだけストーリー。

役所さんはね、昔、正当防衛に近いかたちで、
人をあやめてしまい、それで、10年近く服役していたっていう役柄で。
元々は、ヤクザで、
出所してシャバに出ても、すぐにカッとして、
人をぶん殴ったりしちゃう。

でね、
この役所さんをなんとかシャバに馴染ませようとね、
いろんな人が登場し、
サポートしてくれるんですよ。

身元引受人になってくれる弁護士の人とか、
生活保護を担当する役所の人とか、
スーパーの店長さんとか。

みんな優しい。
暴言を吐かれても、
ケンカしても、
見捨てないでいてくれる。

こういう人たちが、手を差し伸べてくれて、
役所さんは人生をなんとか立て直していく。

大事な部分もごっそり削ぎ落しちゃっている気もするけど、
要はそんなようなお話。

世界はあったかいところだ、って、思わせてくれる映画。
であればこそ、「素晴らしき世界」というタイトルなんでしょうけどね。

 

ぼくが思ったのは、
役所さんみたく、問題が外から見て分かりやすい人は
まだいいと思うんです。

役所さんは、すぐカッとする。
人に手を挙げちゃう。

人と相対したときも、
自分の感情、怒りとか、悲しみ、喜び、
そういうものが表出される。

生活保護をもらうことになり、
そのことが悔しくて役人に八つ当たりする、とか。

道路の道端でオヤジ狩りが行われているのを、
見て見ぬフリができず、若者をボコボコにしちゃうとか。

感情が表出されるってことは、
役所さんの感じていることが外から見える、ってこと。

自分の感情、思っていることが、
自分の行動とまっすぐにつながっているんです。

そこにズレがない。
だから、周囲からみて、その人が分かりやすい。

 

でここからです。

こういう人に対して、

自分の気持ちを押し殺しながら、
なんとか、社会に適応しようとがんばっている人たちがいる。

もう少し、対象を限定しましょう。

ここではいったん、
愛情のある家庭に生まれ、
何不自由なく生き、
友人に囲まれ、
自分を肯定する力の強い人を除きます。
除外します。

もっと逆境の中で生きてきた人。

たとえば、
機能不全家族の中に育って、
人に愛されることも、
愛し方もわからず、
自己評価が低いから気分が沈みがちだけど、
暗い人は忌避されるから明るい自分を装い、
なんとか社会に適応しようと、
毎日、人と調和して生きることに
神経をすり減らして生きている人です。

こういう人ってね、
社会になんとか適応しようと努力しているからこそ、

外からは、その苦しさが見えないことがあるんです。

こういうときは笑った方がいい、とか、
こういうときはこうした方がいい、っていう、

社会のルールを頭で覚え、
そのように自分を動かしていく。

心より、頭を使って生きている。

社会に過剰に適応するからこそ、
逆に、

「育ちがよさそう。」とか、
「人の苦しみなんて分からないでしょ。」とか、
そんなことを言われたりする。

自分自身と、周囲から見える自分というのが、
乖離していると、、、

苦しいんですよ。もう本当に。

自分の苦しみを分かってもらえないから。

自己評価が低いから、
すぐに自分を責めてしまう。

なんであんなことをしちゃったんだろう。
なんて自分はダメなんだろう。

こんなままの自分では、周囲から嫌われるから、
なんとかして好かれるようなキャラクターを演じる。

本当の自分ではない自分を繕い、演じる。

こういう人が、社会にはいるんです。
ぼくがそうでした。

でね、こういう人の苦しみってね、
外側から見えないからね、
周りも、問題があると思ってくれない。

積極的に手を差し伸べてくれることもない。

本人は、とても大きな苦しみを抱えているのに、です。

 

何が言いたいかというと、

この映画の役所さんは、
元ヤクザで、犯罪を犯して服役していて、
すぐカッとする、暴力を振るう、みたいに、
その問題がすぐ見てとれる。

だから、周囲も、問題に対して、まだ対策を打つことができる。

一方で、自分の気持ちに折り合いをつけながら、
なんとか生き延びているような人も、
この社会には存在していて、

そういう人たちは、問題が外から見えない。隠れちゃう。

むしろ、そっちの人たちの方が、
心の問題は深いのではないか、と思ったのです。

どうでしょう。そう思いませんか?

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