小学校3年生頃から、私は太り始めていきます。
そのことをきっかけに、クラスの一部のいじめっ子たちから
容姿をからかわれるようになりました。
悪口、陰口を言われたり、小突かれたり。
このいじめの経験が、のちの私の人生に大きな影響を与えることになります。
「人と違う」ことは危険なこと、と考えるようになり、
自分の個性を殺していくことにつながっていきます。
いわば、いじめっ子たちによって、私は人生を狂わされたわけで本当に悔しいです。
もう30を過ぎていますが、残りの人生は個性を爆発させて生きて、
絶対に幸せになってやろうと思っています。
いじめのきっかけ
小学生くらいの成長期の頃って、
いくらでもご飯を食べられるみたいな時期がありませんか?笑
私は小学校の3年生くらいの頃、食欲が増しに増し、
急に太り始めた。
通っていた小学校では1つのクラスが40人くらいでしたが、
その中で最も太っていたと思います。
太る前は、運動が得意という意識をもっていました。
運動会ではリレーの選手に選ばれることもありました。
また、休み時間にサッカーやドッヂボールで遊ぶことも好きで、
地元のサッカークラブにも所属していました。
しかし、太り始めたことで、運動がどんどん苦手になっていきました。
早く走ることができなくなり、運動会や体育の授業で活躍することも
全くできなくなりました。
所属しているサッカークラブでも、試合での出場機会がぐんぐんと減っていきました。
太り始めて運動が苦手になっていったことで、
クラス内での私の存在感は低下していきました。。
いじめの実際
クラスの全員から、というわけではなく、いじめっ子の集団5-6人から、
毎日のように、悪口や陰口や言われました。
休み時間の間や、体育の授業中に、
「デブ!」
「大根足(だいこんあし)!」(足が太かったから)
など。
後ろから小突かれたり、とか、持ち物を奪われたり、
ということもありました。
はじめのうちは言い返したりもしていた。
けど、大人数に対して、少し言い返したところで、
状況は何も変わりませんでした。
来る日も来る日も悪口を言われることの痛みに耐えられず、
泣きながら家に返ることも何度もありました。
一度だけ、いじめられていることを母親に伝えたことがあります。
そのとき、私は母親に対して、このいじめの状況を学校に説明して
解決するように動いてほしい、とお願いしました。
でも、親はただ困惑するだけでした。
「悪口を言われたら言い返しなさい。」、というだけでした。
私の親は、自分の息子が抱える問題に
積極的に介入していくほどの度量がなかったんだと思います。
結局、このいじめはクラス替えが行われる2年間の間、続きました。
人生に与えた影響:人と違うことは危険と考えるように
人と違うことは、危険なことなのだ、と考えるようになりました。
周りと比べて太っていることがきっかけで、
いじめにあうようになったからです。
周囲の人と何もかも同じならば、目立つこともなく、
いじめのターゲットにされることもないはず。
こうした考えのもと、外見のみでなく、
自分の発言や行動まで周りと一致させていこうと考えるようになります。
自分が感じていることや考えていることは、人と異なっているかもしれず、
それらの本当の気持ちを外に出すと、周囲との違いが露呈し、
そのことがきっかけで、またいじめにあう可能性があるからです。
こうして、私は自分の本当の思いや気持ちにふたをして、
外に表現しなくなりました。
その代わりに、周囲が何を考えているか、私に何を望んでいるか、
を相手の顔色や言動から読み取って、それに沿った行動をとるように
なっていきました。
こうして、周囲に迎合していく生き方をとるようになっていくのです。
こうした、自分の本当の気持ちや思いを誰にも見せず、
周囲に合わせた行動をとる、ということを私は以後20年以上続けていきます。
この行動は、自分の大切な個性を自ら殺していくことになりました。
今になって思えば:いじめっ子は少数派
いじめっ子たち以外の他の子は、
太っていようが、私をそのままの姿で受け入れてくれていたんです。
ありのままの私を受け入れてくれる人たちは確かに存在していました。
でも、私の中では、少数派であった、いじめっ子たちの存在があまりにも大きく膨らんでいました。
このために、いじめっ子たちのような、
「人の個性を認めない」「人の弱点を攻撃する」人間たちにあわせて、
自分の人生を捻じ曲げていってしまいました。
自分の本心や本当の感情をひた隠す道を選んでしまいました。
そのことに強い後悔が残ります。
いじめっ子たちでなく、ありのままの私を受け入れてくれたクラスの子たちに、
もっと気付けていたら。
私はこれまでの人生を、もっと自然体に、もっと自由な心で生きてこれたろう
と思います。
私自身はもう30を過ぎているが、まだ諦めていません。
残りの人生を、最高に楽しく、幸せに生きてやろうと思っています。
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