文学が存在する理由。

ぼくが高校生のときにね。

ふと思ったんですよ。

なんで、文学ってものが存在するんだろうと。

小学校でも中学校でも高校でも、
学校では国語の授業があって、

いろいろな小説とか詩とか読まされるじゃないですか。

ヘルマンヘッセの「少年の日の思い出」とか
茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」とか、
夏目漱石の「こころ」とか、
中島敦の「山月記」とかね。

 

で、こういう作品を題材にして、

学校の授業の中では、
作者の言いたいことを考えさせたりするわけだけど、

ぼくは思ったんですよ。

言いたいことがあるなら、なんで、
それをわざわざ小説やら詩みたいなかたちにするんだろう、と。

良心の呵責の苦しさを伝えたい、とか、
戦争の悲惨さを伝えたい、とか。

筆者が、そういうことを主張したいのならね、
それをそのまま文章にすればいいじゃないですか。

「不倫は悲しむ人がいるから、やらない方がいいよ。」とか、
「戦争は苦しむ人がいるから、やらない方がいいよ。」とか。

その主張をそのまま、まっすぐに文章にすればいいじゃないですか。

でもさ、先に挙げたような筆者たちはさ、それをあえて、

読者が面白がるようなストーリーやらプロットを考えてさ、

たくさんの登場人物を作り出してさ、

その人たちに会話までさせてさ、

もう、めんどうくさいことするじゃない。

伝えたいことがあるなら、
わざわざ小説になんかせずに、

それをそのまま文章にしろよ、
ってそう思っちゃうじゃない。

ぼくは思っちゃった。

なんでわざわざ?
あえて?

と。

で、それがずっと分からなかったんです。

この疑問は、なんで、小説やら詩やらといった
文学が存在するのだろう、っていう疑問とイコールだと思うんですけどね。

 

でね、こんな疑問を抱えたまま生きていたんだけどね。

これは忘れもしない、高校の図書館で。

萩原朔太郎の青猫という詩集を手にとったんですよね。

その序文にこうあったんです。

文学っていうのは、

何を感じたか、を伝えるものではなく、
どのように感じたか、を伝えるものなんだ、と。

whatを伝えるものではなく、
howを伝えるものなんだと。

これを読んで、ぼくはハッとした。

 

例えばね、

「可愛がっていたネコが死んでしまって、悲しい。」

この文章はね、

可愛がっていたネコが死んでしまった、という原因があって、

その結果として、悲しくなった、ってことを意味する。

これは、何を感じたか、whatを伝えているだけです。

じゃあね、「どのように」悲しいか、を伝えるには、どうすればいいかっていうとね、

その可愛がっていたネコは、もともとは空き地に捨てられていたネコで。
当時、学校でいじめられていたボクは、その空き地のネコに餌をあげることで癒されてた。
次第に、ネコもボクになついてくれて。
お母さんはダメだと言ったけど、懇願して、飼うことを許してもらった。
以来、ずっと一緒に生きてきた。
勉強していても机にあがってきて、邪魔をしてくるし、
冬はもちろん夏だって布団にもぐりこんできて一緒に寝たがるから、暑くてしょうがない。
でもボクは、学校に居場所がない自分になついてきて、肌を寄せてきてくれるそいつが可愛くて可愛くて仕方がなかった。
あるとき、病気になって、それ以来、どんどん痩せていった。
ごはんを食べれなくなっても、歩くことができなくなっても、ボクは付きっ切りで看病したけれど、それでも、、、

・・・

って、こういうストーリーがあると、

ただ、ネコが死んでしまって悲しい、っていうのとは、

また別の「悲しい」が、胸に迫ってきませんか。

これが、「どのように」悲しいのか、を伝えるってことで、

まさに文学とは、ストーリーをつけることによって、

悲しさなり、その他の感情が、どのようなものかを伝えているんだ、って感じたんです。

で、それこそが文学なんじゃないか、と。

人間の心の機微というか、

深淵さ、とかね、

感情のヒダのようなものをね、

そういうのを伝える、共有するためにね、

文学が存在していたのか、と。

そう、妙に納得しちまったんです。

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