年末なのだから、年末らしく、今年の総括となるような記事をかきたい、と思った。
でも、なんだか、そんな気分になれない。
なぜかと言われると。日常生活のなかで、悲しいことがあって、少し落ち込んでるんだ。
何があったのか。まずはその顛末を書くことにしよう。
友人の一人にね、とてもコミュニケーション能力の高い人がいてね。その子がいると、その場が明るくなるんだ。どんどん自分から周囲の人に話しかけにいってね、もう匠の技といえるくらい、上手に話を引き出してね、場を盛り上げちゃう。その子がいるところは、いつも笑いが起きて、楽しそう(にみえる)。
自分にもね、がんがん声をかけてくれてね。ってなると、やっぱり嬉しいじゃないですか。こちらに興味をもってくれて、関心をもってくれて、話を引き出してくれてさ。ぼくの話も本当に楽しそうに聞いて、きゃっきゃっと笑ってくれて。
やっぱりぼくも嬉しい。で、好意をもってしまう。これは異性としてでなく、友人としての好意、ですよ。
その子の前ではね、つい喋っちゃう。饒舌になっちゃう。なんせ楽しそうに聞いてくれるから。でなおのこと、話してしまう。
その子の前では、ぼくは自分を好きでいられた。
これ、もう少し、説明するとね。
ぼくは、これまでどちらかというと寡黙な人、落ち着いている人、と言われることが多かった。でもね、そんな自分がイヤだったんだ。もっと感情を出したい。自分の心の内をもっと外に伝えたい。もっと話したい。もっと人とつながりたい。って思ってた。
で、ぼくは、その子の前では、自分の感情を出せたように感じていたし、お喋り好きな自分でいられた。自分で自分をとても魅力的に感じることができた。
つまり、なりたい自分になれているように感じていた。
なんなら、相手もぼくのことを魅力的に思ってくれているんじゃないか、くらいに思っていたんだ。
でも。
ここからですよ。
4人くらいで話しているときにね、その子がね、ぼくのことを評してね、「ヤマグチくんは、全然喋ってくれない。」って言ったんですね。彼女を責めるつもりはぜんぜんないんだけど、なんだか、とてもショックだった。
それでその言葉の意味をシリアスに考えこんでしまった。
彼女と1対1でいるときは、むしろお喋りなくらい話すんだけど、確かに複数人でいるときは、ぼくは聞き役に回ってしまうことが多くて。そのことを評していったのかなあ、とか。
それとも、複数人でいるとき、会話の切り出し役になることが、ぼくが圧倒的に少ないことを言っているのかもしれない。
それとも、皆で会話をしていてふっと会話が小休止したとき、それをつなぐ役を買って出ることが少ないことを言っているのかもしれない。
または、誰かが雑なフリ、ボケをしたときに、それを拾う役回りからぼくが逃げてることを言っているのかもしれない。
真意は分からないけれど、ぼくはその「全然喋ってくれない。」という言葉が、ボディブローのように重く効いた。
その子の前では、話せていると思った。
おもしろい自分でいれていると思った。
楽しい人でいられていると思った。
でも、そうではないのかも、と。
なんか、一生懸命つくってきたものがガラガラと崩れていくような感覚になったんだよね。
すっと背筋が寒くなるような。
たった一言を、重く捉えすぎだよ、って言われちゃうと思うんだけど、ただ、ショックを受けたのは事実として。
とても悲しかったんだ。
人がどう思うかなんて自分でコントロールできないのだから、人の発した言葉から真意を探ろうとしたってしょうがない、と言われればそのとおりなんだ。
アドラーもいっているよね。
自分の課題と、他人の課題を分離せよ、って。
そのとおりで。
人の言葉で、自分が断罪されたように感じるのも、人の評価を重く捉えすぎで、自分の価値は自分で決めていい。人に決めさせちゃいけない。
そのことを頭では分かっているのだけど、ショックはショックなんだよ。だから、ここ最近、心が重くてしょうがないんだ。
でだ。
そんな自分。
人の言葉にすぐに傷ついて、動けなくなって、また人と距離をとってしまう。だから、人間関係を作っていくのって、ぼくにとってはけっこう大変な作業なんだ。新しい環境に飛び込んだとしても、やっぱりどうしても時間がかかっちゃうんだ。この人は本当に信じていいんだろうか、とか。こんなこと言ったら変と思われるんじゃないか、とか、いろいろ考えちゃって。人と仲良くなるのに時間がかかる。
だからね、人と自然と仲良くなれる人がうらやましくてしょうがないんだ。「自然と」っていったって、本人からすると、いろいろな努力をしているのかもしれないけどね。初対面でも、すぐに仲良くなっちゃう人とかいるじゃないですか。すっと輪の中に入れちゃう人。ああいう人。
違国日記(ヤマシタトモコ著)でね、高代槙生ちゃんがね、朝ちゃんにいうんです。
あ、槙生ちゃんはね、ADHDみたいなところがあってね、物を片付けるのが苦手だったり、集団行動が苦手だったりする。で、それがすごいコンプレックスなんですよ。周囲の人たちが当たり前にできていることが、自分にはできないってことが。
一方で、朝ちゃんは、そういうのがない。ふつうといえばふつうなんですけど、そんな「ふつうの」能力が、槙生ちゃんは羨ましくて羨ましくてしょうがないわけなんですよね。
で言うんです。
槙生ちゃんが朝ちゃんに。
「あなたがもっているような能力を、わたしがどれだけ望んで欲していたか分かる?」っていうふうにね。
あなたには分からないでしょう?って逆説的にいうんだ。
ここで、ぼくはひどく共感してしまった。
ぼくにしてみたらね、人と仲良くなるのに時間がかかるっていうのがコンプレックスなんだ。コミュニケーション能力の低さといってもいい。でね、コミュニケーションが上手でね、人とすぐに仲良くなってね、人の輪の中で楽しそうにしている人をみるとね。羨ましくて羨ましくてしょうがないんだ。もうね、本当に羨ましいんだ。
もちろんね、コミュニケーション能力なんて、すぐに身に付くもんじゃない。
今、とてもコミュニケーションが得意な人だって、たくさんの失敗を繰り返して身に着けてきたんだろうし、これまでの人生の蓄積で得意になっていったんだろうから、
コミュニケーションの場を避けてきた自分が羨むのもおかしな話かもしれない。
小さな一歩を積み重ねていくしかないんだろうなと思うよ。
思うんだけど、、ねえ。。。
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