マンガ大賞2025を受賞しているマンガだから、
ご存じの方も多いのではと。
1巻はすごく面白かった。
勉強にもついていけず、学校生活にもどこか馴染めていない主人公の女の子が、
犬星くんに見いだされる。
そして、自分の眠っている能力を覚醒させていく。
やがて主人公は、日本人女性史上初の宇宙飛行士コマンダー(宇宙船の船長さん)となることが
1巻で明かされていて、
そこまでの道のりが描かれていくストーリー、、、
なのだけど、
ぼくはあんまりハマらなくて。
5巻まで読んだんですけどね。
というのもね。
覚醒したあとの主人公があまりにも優秀すぎて、
容姿も端麗で、
様々な課題にぶつかるも大した葛藤もなく次々とクリアし、
周囲からの信頼も早々にゲット。
そういう人間でなければ、宇宙飛行士のコマンダーにはなれない、
ってことなんだろうけど、
犬星くんに見いだされ覚醒したあとは、
あまりにもひょいひょいと、上手く物事が進む。
そこに感情移入できなくて。。
とまあ、そこはいいんだ。
ぼくがこのマンガを読んで特に印象に残っている言葉があってね。
それは、犬星くんが友人から言われた言葉なんだ。
犬星くんは、両親がおらず、
施設に入っていてね。
それでも環境に負けず、
自分の力で勉強して、学び、
道を切り開いてきたような子なんだ。
その施設では、消灯時間が早く、夜に勉強ができない。
だから、公園の街灯の下で勉強するといって、
施設を夜に出ていくんだ。
それで部屋を出ていこうとするときに、
同じ部屋に住む友人が犬星くんにいうんだ。
このようなことを。
”
なんでそんなに頑張るの?
生まれもったポテンシャルがあったとしても、
ぼくたちから、それが引き出されることはないよ。
里親に引き取られたって同じ。
僕たちは遠慮するからモノにならない。
”
ああ、この人はなんて悲しいことをいうんだろう、と思ったんだ。
ひどいとも思った。
必死に道を切り開こうとする犬星くんの足を引っ張るようなことを
いうんじゃねよって。
と同時に、この「遠慮するからモノにならない」って言葉は、
自分にもそのまま当てはまるように思ったんだ。
ぼうは愛着障害があってさ、
どうしたって人の顔色を伺ってしまう。
これをいったら、嫌われるかな、とか。
これをしたら、悪く思われるかな、とか。
それで自分の本音を伝えることを遠慮しちゃう。
押さえ込んじゃう。
言いたいことを我慢して我慢して、我慢しすぎて、
やがては自分が本当に何を思い、感じているか、
まで分からなくなったりする。
分かっているんだよ。
誰も我慢なんて望んでない。
遠慮なんてしなくていい。
成熟した人間ほど、
お互いの本音を言い合って、
どちらも気分よく過ごせる人間関係を構築していきたいんだって。
それでも、
頭では分かっているのに、
こちらが、相手の出方を伺っちゃう。
相手の気分を害するのが怖くて、ついつい相手に迎合しちゃう。
もっと具体的にいおうか。
たとえば、めちゃくちゃ魅力的な女性がいたとして。
目はぱっちりして、まつ毛は長くて、
長い髪で。
胸もおしりも大きくて、知性的で。
ああ、この人を抱けたら、
なんて幸せだろう、と思う。
でも、声をかけたい、の前に、
自分なんかが声をかけたって、相手が困るだけだ、がまさる。
自信のなさもあるよ。
それに、自分よりももっと魅力的な人の方が、相手にもふさわしい、って
条件反射のように考えてしまう。
自分が!っていう我をとおすことができない。
遠慮してしまう。
また別の例。
複数人で、どこかに旅行へいこうか、という話がでたとする。
本当は旅行にいきたくなくても、
その本心を伝えるのをためらっちゃう。
周りの気分を害するのが怖い。
自分の気持ちを押し殺して、相手に従うこと、、
自分を含めて、それが誰も幸せにしないことは頭では
分かっているのに、
反射的に、場の雰囲気を壊さないように壊さないように、
行動してしまう。
自分の気持ちを伝え、周りと調整することを遠慮してしまう。
そう、遠慮なのだ。
遠慮しなくていいところで、遠慮してしまう。
自分を消してしまう。
これは愛着障害に悩む人の多くの人がそうだと思っていて。
自分も含めてね。
でまさに、犬星くんの友人がいっていたように、
ぼくは、「遠慮するからモノにならない」、そのいい例なんじゃないかって
思ったんだ。
モノにならないってのは、つまり、
社会的に成功できない、っていうのもあるだろうし、
魅力的なポジション、物、人間関係を得られないって意味もあるんだろうと。
だってさ、この遠慮のせいで、どれだけの時間を失ってきたか、
って思うんだ。
自分の言いたいことを我慢するから、
意に沿わないことをしないといけない。
自分の欲しいものを欲しいと主張しないから、
永久に手に入らない。
そして、なんで、ああいえなかったんだろう、
ああしなかったんだろう、
こういえばよかった、
こうすればよかった、
って思い悩む。
そして、それを繰り返す。
この思い悩んできた時間を、
他のもっと有意義なこと、
それは勉強であったり、
様々な人生経験だったり、
人間関係の中で揉まれることだったり、
そういうことに使うことができたら、
どれだけ成長できたんだろうと思うんだよ。
遠慮、遠慮、遠慮で生きてきたんだ。
周りの空気を壊さないように。
嫌われないように。
そうやって、なんとか居場所をつくり、
生き延びてきたんだ。
そんな自分をいじらしく、よく頑張ってきたな、
とも思うよ。
でもさ。
そんなのイヤじゃん。
遠慮ばかりの人生なんて。
ぼくは犬星くんの友人ほど達観してないよ。
自分は「モノにならない」なんて、まだ諦めきれないんだ。
遠慮する自分から、
遠慮しない自分に、というか、
ちゃんと、自分の気持ちを伝えて、相手と調整できる自分に、
したいこと、やりたいことを主張できる自分に変わっていきたいんだよ。
たとえ、時間がかかっても。
そりゃさ。
愛着障害のカウンセリングを長い間、受けていても、
いまだに、この遠慮するクセ、嫌われ、孤立するのが怖い気持ちが抜けきらないことに、
自分がイヤになることだってあるんだよ。
ああ、また同じことで悩んでるわって。
周りに気を遣いすぎて、本心を打ち明けられず、
逆に周りから気を遣われて、敬遠されてるわ、って。
また一人ぼっちになっちゃったわ、って。
それでも、そんな自分をちょっとずつでも変えていけたら、
って思うんだよ。
容易くはないよ。
時間はかかるだろうけど。
ただ、ぼくはまだまだそんな自分を諦めきれないわ。
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